奪ふ男

ジョーカー 2−13 (4/4)
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 やっぱり奴か。聞き取れた声は、陸奥のものに似ている。
「……この程度の……。まさか……」
 怒鳴っている。でも相対している人間の声は全然聞こえない。まさか一人でいて、自分に向かって怒鳴っているわけもないだろうに。
 僕は走っていた。心臓の音がどくどくと鳴り、聞こえてくる声を妨げている。心臓が訴えている。早く行かなくては、と。
 途中で怒鳴り声が途絶える。しばらくして再開したとき、はっきりとよく聞こえた。
「……俺をバカにしてるのか!!」
 その怒声の次の瞬間、悲鳴が上がった。
 この階に来て初めて聞いた、女の声だった。
 ルリの、声だった。
 十六年生きて初めて聞いた、ルリの悲痛な哭声だった。
 聞いた瞬間、石化したように足が止まりそうになった。でも、早く行かなくてはと、今も心臓が訴えていて、足は先ほどよりもっと速く動いてゆく。足が交互に前へ進むスピードは、自分の限界を超えそうな程に速まっている。
 血液が逆流してゆく。血が上っているのか、下がっているのか、わからない。
 考えられない。
 怒号と悲鳴の教室の中で、何が起こり、何が渦巻いているのか。
 何も考えられない。早く、行かなくては。早く、早く。
 
 開けた扉の先には、一人の男が奥に立っていた。
 黒板の近くに立っている男の背には茶髪が流れていて、どこの誰だかすぐにわかった。
 僕は最初、ここには一人しかいないと思った。
 さっきの悲鳴を聞いたのだから、そんなわけがないのに。
 しかし、教室に入ったばかりの僕の目には、陸奥以外の人間は捉えなかった。
 ……この教室で、立っている人間は、陸奥しかいなかった。
 振り返った陸奥の目が驚きを写し、無理やり自然な笑みを作ろうとしたのか、不自然に口許を歪ませていた。
 陸奥は僕に何かを言ったのかもしれない。けれど僕の耳はそれを素通りしていって、記憶のかけらにも残らなかった。
 扉を開けた瞬間は足を止めたものの、僕はまっすぐ陸奥の方へと向かった。
 途中に立ちふさがっていた机や椅子にぶつかり、倒しながら。
 ただ一直線に向かった。
 陸奥に向かってじゃない。
 陸奥の向こうに向かって。
 小さな泣き声に向かって。
 陸奥が身体を向けている教室の隅には、腰ほどにもない小さな棚がある。
 すぐその下。教室の床板の上で、その棚に頭を向けて横たわる、ルリがいた。
 ルリの頭のあたりの床は、ルリの髪ごと濡れている。
 ルリの頭の上には、割れた陶器の破片と切り花が散らばっていた。
 乱れた髪で隠れている口許から、喉を詰まらせたような喘ぎに似た、しゃくり声が聞こえてくる。
 髪の上に落ちた、白いカーネーションのくしゃくしゃの花びらには、赤い液体がべっとりと付いていた。
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