奪ふ男

ジョーカー 2−10 (2/3)
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 ルリの手が全て離れたところで、両手を返してルリの手のひらを見た。強く握りしめすぎて、手のひらも指も赤くなっている。時間が経てば消える赤さだろう。だけど、僕にとって、悲しい赤だった。
 こんなになるまで握りしめ、鎖を解こうとして苦心していたのか。
「そんなに、ここから出たいって考えているの?」
 するとようやくルリは声を震わせながら、しかしはっきりと僕に問い詰めた。
「そういう問題じゃない。鍵はどこ?」
「鍵?」
「この南京錠の鍵」
 ルリの視線の先、鎖を結ぶ小さな南京錠がある。僕は答えず、別の話をした。
「そんなに出たい? ……陸奥のこととか考えているの?」
「どうしてそうなるの? 笑って別れる方法を探しているところなのに」
 そんな方法を考えることこそ無駄だと言ったのに。
「じゃあ、それ以外の誰のことを考えている? 誰のことを考えて、僕と一緒にいたくないなんて考えるんだよ」
 最後は声がかすれてしまった。この部屋を出ようとルリが苦心している様を見るだけで、心に棘が刺さってゆく。ルリの心に懸かるのは誰だよ。僕以外の誰が。僕さえいればいいと思ってくれよ。僕はそうなのに、どうしてルリはそう思ってくれないんだ。誰が邪魔をするんだよ。誰のせいなんだよ。
「誰のことも考えてないよ。智明、とにかく部屋を出よう? 落ち着こう?」
「嫌だ。僕はルリと二人きりでいたい。告白だって本気だ。返事を教えてくれないか」
 ルリの瞳が揺れながらも僕を捕らえている。捕らえているのは僕なのか、ルリなのか。
 精一杯に気持ちを伝えたいと思った。逃げたいと考えているルリの中で、何かが変わってくれればと願いながら。
「本気だよ。僕は本気だ。誰よりも、ルリのことが好きだ」
 信じてほしい。嘘なんかではありえない、この感情を。そして、受け入れて欲しい。
 ルリの肩が、少し痙攣した。唇が引き絞られ、しばらくルリはうつむいていた。その時間は短いようで、ひどく長く感じた。でも、ちゃんと答えようと決めてくれたらしい。ルリは小さく息を吸い込むと、口を開いた。
「智明。私……」
 そのときだった。
 扉の外、遠くから、
「ただいま」
 という声が聞こえてきた。この声の遠さは玄関からの声だ。母さんの声だ。
 どうしてこんな時に。僕の頭の中には、リビングに置いてあるホワイトボードが浮かんだ。我が家では、家族のスケジュールをそれぞれホワイトボードに書いておく。母さんは確か仕事でしばらく泊まりがけのはずだったのに。
 ……もしかして、着替えを取りに来たのか? そういうことはたまにある。一週間泊まりがけだったりするとき、着替えだけを取りに家に帰ってくる場合が。
「智明ー? いないの?」
 母さんがリビングあたりから、呼びかけている。
 その瞬間、僕の前にいたルリは、大きな口を開けて叫んだ。
「おばさん!!」
 僕は思わずルリの口を手で覆った。ばれるじゃないか!
 まずい。
「……誰かいるの?」
 母さんが遠くから尋ねてくる。
 物音一つ立てないようにしながら、僕は扉の向こうに耳を澄ませた。
 はやく事務所に帰ってくれ。仕事があるんだろう?
 いてほしいと考えていたのは小さな頃だけだ。今は違う。どうしてこんな時だけ帰ってくるんだ。
 階段を昇る小さな音がする。息を殺した沈黙の時間。
「……まさかね」

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