奪ふ男

ジョーカー 2−4 (2/4)
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 嫌な空気だった。望まぬ方向に吹くぬるい風が、ルリに向かっていた。風は僕が何をしても止めることはできない。とどめる僕の身体をすり抜けて、ルリに向かう。
 ルリの中で、僕の望まない方向に、何かが固まりつつあった。
「私、バイトをするよ」
「えっ」
 虚を衝かれた。
「急になんだよ」
「前から考えてた。ちょっとでも環境を変えようかって」
「意味がわからないよ。ルリは水泳部でただでさえ忙しいじゃないか」
 学業、部活。ルリの忙しい日常を縫うようにして、僕たちは二人でいたというのに、バイトまで始めてしまえば。
「夏休みも始まるし、何とか両立してやるよ」
「大変じゃないか。ろくに遊べないよ?」
「うん。でも、がんばるよ」
 ルリの中ではもはや決定事項のようだった。僕が何を言おうと、変えない。
 いくつか押し問答を繰り返しても、「私やるよ」とルリは決意を深める。
 水泳部に入部するときもそうだった。僕がやめた方がいいと言っても、ルリは入部した。水着姿なんて、他の奴らに見せたくなかったのに。
 そのときと同じく僕は根負けし、それに適応するしかなさそうだと考えた。
「……どこでバイトするかとか、考えてるの?」
「どこかの喫茶店とかかな。ちょっと探してみるよ」
「決まったら教えてよ」
「やーだ。智明に教えたら、絶対来るでしょ」
「いけない?」
「うん。恥ずかしいから、来てほしくない」
 隣で一緒に帰るルリは、絶対教えない、と言った。
 毎日のように行こうと思ったのに。
 最悪の、とまでは言わないけど、嫌な方向へ進んでしまった日だった。全てうまく行っていたのに、ルリは妙な遠慮をし、確実にルリと一緒の時間が減ることが決定した。
 これも全て――
 恨みに思ったのは、一人だった。
 
 
「西島さん。昨日のはどういうことかな?」
 いつものように寄ってくる西島に、教室に入る前の廊下で、きらきらしい朝日が差し込む中、柔らかく笑いかけながら問いかけた。
「僕がルリのことを迷惑だとか、事実無根のとんでもないことを言ってくれたね」
「智明君……」
「勝手なことを言うのはやめてほしいんだけど」
 これだからルリ以外の他人は嫌なのだ。いつもルリとの間を邪魔する。
 西島は深刻そうに息を呑む。
「ごめんなさい……。あたし……」
 どんな言葉が続くかと思いきや、西島は両手でうつむいた顔を覆った。
 それから、すすり泣く声が聞こえてきたのだった。
「智明君のことを考えるばかりに、あんなこと言っちゃったの……。きっと智明君は困ってるんだと思って……」
「僕は全然困ってないよ」
「ごめんなさい、谷岡さんにも悪かったと思ってる。本当に智明君のことしか頭になかったの。……昨日からずっと反省してる。許して、智明君……」
「…………」
 西島はか細い弱々しい泣き声をあげ続ける。
「智明君のことを考えるあまりに、なんて言い訳に聞こえるかもしれないけど、本当なの。あたし、智明君のことを考えてばっかりで……悪気はなかったの。ごめんなさい……」
 西島は顔を手で覆ったまま、本格的にしゃくり泣き始めた。いつも勝ち気な西島が、秘めた女の弱さを見せつけるように。
 同じクラスの奴らは、榊のようにそっと知らんふりで教室に入っていく奴らと、何があったのかと心配そうに見つめる奴らとの二極に別れていた。視線が痛い。

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