翼なき竜

18.女王の子(1) (1/3)
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 七年前。
 ある城が攻められ、燃えていた。兵達の戦う音が、城中に響いている。燃える城自体が、奇妙なきしみの音を響かせている。
 女王はその城の中を歩いている。女王は当時まだ女王ではなく、王女と呼ばれていた。
 彼女は鎧は着ておらず、ドレス姿であった。しかし、元々白かったドレスはぐっしょりと血に濡れている。燃える城の熱波が、彼女の額に玉の汗を作る。
 瞳は暗く、飢えたような苦しみが顔に溢れている。
 頬にある『泰平を築く覇者』のあざは片翼がない。
 敵兵の存在に気を配り、慎重に歩く。敵兵から奪い取った剣を手に。
 それは戦士の眼。
 戦う場所にいる、戦う者の眼であった。
 赤いドレスもまた、戦いと死の証である。
 だがしかし、戦いにふさわしくないものがひとつ、あった。
 一人燃える城を歩く彼女の腕には、布に包まれた赤子がいたのだ。


   *   *


 夏前。
 城には西に庭があった。白い美しい城に映えるように、美しい芝生が、花壇が、糸杉がある。
 そして池があった。本来なら噴水のある場所に。
 ある時代の王が、噴水に飽いて作らせたのだという。
 池はそれなりの広さがあり、一周するなら時間がかかる。蓮の花が咲き、大きな葉が水面を覆う。観賞用の見目麗しい魚が時折跳ねることもある。
 隣にいる女王が窓からその池を見ていた。ぼんやりとして、いつもの凛々しさが薄れている。
「お疲れですか、陛下」
「……いや、大丈夫だ。今日はあと何の予定が入っていた?」
 宰相は首を振る。
「本日はこれで謁見・会議・式典は終わりです」
「……そうか」
 心ここにあらずといった風情で女王が相づちを打った。
 やはり疲れているのだろう。彼女はエミリアンが亡くなってから、ずっと仕事で無理をしている。気を抜く暇を、作らないのだ。最近式典や行事が多いものだから、疲れは半端なものではないだろう。
 女王は池を見続けている。
 魚でも跳ねたのだろうかと宰相も見つめた。
 女王がぽつりと言う。
「今日は暑いな」
「そうですか?」
「暑い。一足早く夏が来たようだ」
 宰相は首を傾げる。彼の感覚では夏はまだのような気がする。
 だが、女王の顔はどこか赤いし、汗も浮いている。確かに暑そうだ。
 ――自分の感覚がおかしいのか?
 女王は突然、開いた窓に足をかけた。そして、ひらりと窓から庭に出た。
「陛下!?」
 そのまま女王は走ったかと思うと、池に飛び込む。
 宰相は慌てて追う。
 女王の栗皮色の髪が水面で揺らめいている。彼女が飛び込んだことに驚いて遠ざかったらしい魚達が、周囲を泳ぐ。
 女王は顔を半分だけ出し、手で水をかいている。だが本気で泳ごうとしていないのか、力を使っていないようでまったくその場から動かない。
「何をなさって!」
 宰相も池に飛び込み、有無を言わさず女王の体を抱えて出た。
 二人とも服にたっぷりと水を含んだ。泳いで荒くなった呼吸が宰相から漏れたが、女王はそれほど呼吸が荒くない。
 女王はぼんやりと空を見ていた。紫色の唇から言葉が漏れる。
「……暑いから、水に入れば涼しくなるかと、思って、な」
 無茶な、と言う前に、宰相はようやく異常に気づき始めた。
 抱え上げる女王の体が熱い。
 額に手をやる。
 伝わってくる熱量。震え。
 他の兵士や家臣達もびしょ濡れの二人のもとに集まり始める。

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