翼なき竜

7.城下の夕(3) (5/5)
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 ――どれほど深く重いものを背負っているのか。彼女がどれほど苦悩と懊悩の人であるのか。
 目に見えていた彼女の影にある、血まみれの姿。
 単純に好きな人が振り向いてくれた、と思っているだけの当時の自分では、想像もできなかった。
 いや、彼女は気づかせなかった。その間、彼女は耐え続けたのだった。
 ようやくそれに気づくことができたのは、知ることができたのは、このときからずっと長い時間が経ってからのことだった。

   *   *

「素晴らしい」
 マガリは耳を疑った。
 場所は『竜の間』。
 女王から渡された『竜の間』の鍵によって、竜騎士団長・デュ=コロワがこの部屋で竜の絵画を鑑賞していた。
 マガリは女王の古参の女官である。白髪が目立ち始めている。
 竜好きのデュ=コロワが一人『竜の間』にいたのでは、勝手に竜の絵に触れかねない。
 ということで女王から彼を見張るよう仰せつかった彼女であるが、なんとも落ち着かない。
 内部は『王の間』と同じ。四方に絵が飾られている。ただしこちらは彫刻は王の彫像。王といっても、現在の女王ではない。
 古き時代、人竜戦争を終結させ、人と竜との和平と共存を築いたアルマン王のである。
 マガリはこの彫像だけを見ている。
 周囲にある竜の絵は恐ろしくすぎる。もし突然見せられたら、驚いて倒れて、そのまま死んでしまいそうだ。
 その点、アルマン王の彫像は人間である。彼は最初の『泰平を築く覇者』として、右頬に竜のあざを持っている。彼のあざは両翼を持つ完全な竜の形だ。……というより、現在の女王以外、片翼をなくした王はいない。
 そうしてマガリが王の凛々しい彫像を見ていたところ、竜の絵画を見ていたデュ=コロワから、「素晴らしい」なんて言葉が出たのだ。
 デュ=コロワが見ている絵は、この部屋の中で、最も凄惨なものだった。
 竜が、竜を食べているのだ。
 子竜を大人の竜が三匹で食べている。
 マガリはもう二度と見たくない。
 そんな絵に向かって、竜騎士団長は「素晴らしい」なんて言った。
「あの……団長様、この絵のどこが素晴らしいのでしょうか?」
 信じられなくて、マガリは後ろから尋ねた。極力絵を見ないように。
「この絵が実際にあったことを描写した絵だというからだ。つまり、実際にこんなことが竜族間で行われていたということになる。竜は決して共食いをしないと言われていたが……三匹、いや、後ろにもう一匹いるから、四匹で一匹の子竜を食べたというケースが存在することになる」
 デュ=コロワの細い眼が目に焼き付けるよう最大限に開かれ、隅々まで鑑賞している。
「なぜこの大人の竜たちは子供の竜を食べたのだろう。胴体部分をほとんど食われたこの子竜は、なぜ食われる運命をたどったのか。通常と何が違っていたというのか」
「……お腹が空いていたのでは?」
「なるほど、それは考えられる理由の一つだ」
 デュ=コロワはまだその絵を観察するような様子だが、マガリは顔を背けた。
 見ていられなかった。
 食べられている子供の竜の顔がこちらに向いていた。竜の表情なんてわからないけれど、あまりに痛々しくて、見続けられなかった。
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