奪ふ男
ジョーカー 1−1 (3/4)
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僕が上目遣いで見ると、ルリは視線を逸らす。目を背けたまま、ルリは言った。
「智明って、そういう……恥ずかしいこと平気でできるよね」
「恥ずかしい?」
心外だ。僕はこれでも多少は人目を気にしている。
口移しで食べさせてもらうのではなく、あーん、と食べさせてもらうことを選択したくらいの常識はわきまえている。
逆に、ルリが周囲を気にしすぎているように思える。他の人間がどう思うかなんてどうでもいいことじゃないか。どこで何をやろうが、他の人なんて関係ない。
彼女はうつむいて、暗い表情だった。打ちひしがれているかのような悲愴感も存在していた。
ここ最近、よく見る表情だった。そのたびに、何かあったのか、と訊いても、答えは返ってこない。理由がわからない落ち込んだ顔だった。
「そうやってさ、他の人にも……」
つぶやきのようなルリの言葉は、小さくなって消えた。
「何? もう一度言って」
「……なんでもないよ」
「なんでもなくないから、そんな顔してるんだろ? 何? 言ってよ。僕のせい?」
僕は強気で追求してみた。このまま黙っても、理由がわからない。
「言ってよ」
ルリは重い口を開いた。
「……西島さんが、言ってたんだけど」
西島?
誰だっただろう……。僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。僕の周囲に集まってくる人は多すぎて、覚えようという意欲すらなくなる。
僕は記憶の奥から、その名前の人物を思い出そうとする。
記憶の海から細い糸をたぐり、しばらくしてからようやくわかった。
クラスメートの女子だ。勝ち気で気が強く、他の人を押しのけてでも僕に近づこうと媚を売ってくる人物。何をしてもどこにいても近寄ってこようとする彼女に対して、特に感想はない。時々あしらうのが面倒だと思うくらいで、どうでもいい人物だ。
不思議だ。ルリとはクラスも違うというのに、どうして西島の名前がルリの口から出るのだろう。
ルリは顔をうつむかせたまま、震える声で言った。
「西島さん自身が言ってたんだけど……智明は、西島さんとセッ……」
でも、声が途絶えた。
いくら待っても、続きはなかった。
待って待って待って。そしてルリから出てきた言葉は。
「なんでもないよ」
がっくりとした。
「ちょっと待ってよ。最後まで話してくれないと気になるよ」
「もういいんだって。……ねえ智明。私のこと、大事?」
虚を衝かれた。
「当たり前だろ」
その答えは簡単に出てきた。恥ずかしがる必要もなかった。
ルリ以上に大事な存在なんてない。
僕の答えに満足したのか、ルリは何度かうなずく。
「私も智明のこと大事だよ」
そして伝票を持って立ち上がった。
僕たちは喫茶店を後にし、二人で並んで歩いていた。夏の夕暮れ時は遅い。まだ夕日が出ているけど、そろそろ帰らなくては。ルリとの時間が終わるのはとっても残念だ。
僕たちの歩いているのは、登下校で何度も通った土手だった。きれいな広い川が、オレンジ色に染まっている。
いつもの通り、たわいない話をする。
僕の前に、カップルがいた。僕たちから大分離れていたけれど、彼らが手を繋いでいるのだけはよく見える。
「ねえルリ。手を繋ご」
夏というのは何かを衝動的にしてしまいたくなる季節だと思う。暑さが身体の熱に変化する。
ルリはちらりと僕の方を見た。そのときショートカットの彼女の髪が揺れた。
「中学生にもなって」
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