翼なき竜
32.春夢の丘 (1/2)
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鼻先を蝶がくすぐって、ギャンダルディスは目覚めた。
だけどうっすら目を開けた程度で、頭がはっきりしない。ちらちらと、黄と黒の蝶が寄り道をしながら旋回している。
竜の丘の、お気に入りの大木の下で、いつものとおり木陰にいた。芝生にはつくしやタンポポが生え、春の彩りを添えている。
春……?
今は春だっけ……?
頭がはっきりしないギャンダルディスは、深く物事を考えられない。こんなことを疑問に思うこと自体が、寝ぼけている証拠かもしれない。
大体今はいつだっけ。
竜の丘に出るようになったのは、レイラが女王になって数年が経ってからだった。ああそうだった。そこらへんは覚えている。宰相が尽力してくれたんだよ、とレイラが言いながら喜んでくれた。もちろん、ギャンダルディスも喜んだ。狭い厩舎に入れられっぱなしというのは、たとえ人型の幻影を出せて外のことを知れるとはいえ、やっぱり嫌だ。こうやって広い場所で、思う存分日の光と風を浴びて、幸せと自由を実感できる。
だから、それ以後、ってことだ。
……? それ以後って何だ、当たり前じゃないか。なんだか頭がおかしい。理論的に頭が働かない。本当に寝ぼけている。
いや、それとも、ここは夢の中なのかもしれない。
ぼんやりしたギャンダルディスは、腹のあたりに、あたたかいものを感じた。
竜の腹は、硬い鱗で覆われている大部分とは違い、白い肌を見せている。
そこを枕代わりにして、レイラが眠っていた。
ふふ、と彼女が笑った。長い栗皮色の彼女の髪が、淡い水色の薄いベールからこぼれ、腰のあたりでうねっている。彼女の髪は、こんなに長かったっけ。……でも長くなっていた気もする。
「夢だね」
レイラはささやいた。
「美しく幸せな夢……。ねえ、春だ。春だよ……蝶が舞って、たんぽぽの花が咲く丘の、木漏れ日の下、眠っている……。幸せだね」
レイラのまぶたは半分下りていて、ギャンダルディスと同じく眠りの世界と現実の世界の狭間にいるようだった。
いや、それとも、これは本当に夢なのかもしれない。
ギャンダルディスの夢ではなく、レイラの。
でもこの光の熱さと日陰の涼しさ、蝶のくすぐる感覚、レイラの触れている熱や感触、タンポポやつくしや草の匂いが、偽物だというのだろうか。とても信じられない。
レイラは向日葵のようにあかるく微笑んで、いつになく幸せそうだ。いつになく? いつも彼女は幸せそうじゃないか。そうだ、いつものように幸せそうなんだ。……あれ、おかしくないか? ……いや、おかしくない、うん。
わからなくなってきて、ギャンダルディスは再びまぶたを落とそうとした。夢でも現実でもいい。レイラが幸せなら。深く考えるより、ただ眠かった。竜は大抵いつも眠いのだ。
「もうお時間ですよー」
優しく呼びかける男の声が聞こえた。
レイラは身体を起こした。自然に、彼女の長い髪がギャンダルディスの腹をかすめて、くすぐったかった。
「もう時間か。すぐ行く!」
レイラはその視線の先の人物に満面の笑みで応じ、立ち上がる。はらりと、ハーレムパンツに付いていた草が落ちた。
「じゃあ行ってくるよ、ギャンダルディス」
彼女はそうやって簡単に挨拶する。
『……うん』
特に言うことはない。だって明日も会える。いつだって、いつまでも。
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