翼なき竜
32.春夢の丘 (2/2)
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丘の下から、ステッキを突きながら宰相が登ってくる。彼はレイラに笑顔を向けて、続けてギャンダルディスにどこか真面目な顔を向けて小さく頭を下げた。青銀の髪が、さらりと落ちる。
それを見た瞬間、ギャンダルディスの頭にすっと冷たい水が走ったかのように、寒気立つ現実が呼び戻される。
そうだ、彼に伝えた。レイラがもうすぐ死ぬことを。それは絶望的な決まり事で、竜族を全て滅しない限り、もしくは王道楽土を築かない限り、逃れられないということを。
それから……どうしたんだっけ。ああ、頭が回らない。はっきりとしてきたはずの頭が、再び眠りの世界にとけ込んでいく。眠い、眠いんだ。
でも、こうしてここに竜である自分がいるということは、彼は竜族を全て殺せていないんだ。
まあ無理だとわかっていた。王であるレイラが竜族との全面戦争なんて認めないとも。わかっていたんだ……わかってたんだよ、レイラが死ぬことは。もう彼女が春も見れないことは。
レイラを殺しても、逃げるつもりなんてない。娘のように思っていた人間を手にかけ、逃げて生き続ける気なんてなかった。
あれ。でも。
ギャンダルディスは眠くて落ちかかるまぶたを強く押し上げる。
レイラが笑って、宰相の横にいる。レイラがいる。生きている。
そして今は、春だった。蝶が飛び、つくしが生え、大樹は薄い緑の葉が芽吹き、穏やかな風が吹き、レイラと共に眠る春。春になったのだ。そしてレイラは、娘とも思っていた人は、笑って、彼のもとにいる。
竜の耳は、遠くの音も聴くことができる。
王城の外、城下から、祭りの鈴の音が、しゃらんしゃらん、と耳に届いた。
――平和で幸せなブレンハール
女王さまの治めるブレンハール
どこよりも豊かな自慢の国
なんと幸せな泰平の国
いつまでも いつまでも――
ギャンダルディスは祭りの歌を聴きながら、レイラが小さい頃のことを思い出した。『泰平を築く覇者』であるレイラに智恵を授ける過程で、童謡も語って聞かせた。現実にはあり得ない、めでたしめでたしと続く幸せの物語――
夢でも現実でもいい。レイラが幸せなら、それを現実だと信じよう。宰相が泰平を築いたのだと、この夢と現実の狭間だけでも信じよう。だけど願う。もう一度眠り、そして目を覚ましたとき、同じ幸せの春の夢が丘の上に続くことを。
頭を下げてもこちらを見ている宰相に応えるために、うなずく代わりにギャンダルディスはゆっくりまばたきをする。
レイラは彼と少し言葉を交わして、二人で並んで下っていく。二人は手を繋いで、青空の下をゆっくりと歩く。
ギャンダルディスは黄と黒の蝶に視界を遮られながら、青い目で彼らを見ていた。
――女王さまと宰相さま
二人の御代は末永く――
歌はいつまでも、楽しげな城下の人々に唱和される。祭りを楽しむ多くの人の笑い声も聞こえてくる。
背を預ける大樹の若々しい葉が、ふいに吹いた強い風により、枝から離れた。
その葉は落ちることなく、どこまでも爽やかな風に乗って、いつまでもいつまでも飛んでいくのだった。
END.
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