翼なき竜
8.誘惑の魔(1) (1/7)
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平和には娯楽が必要である。
女王の前で行われる御前試合も娯楽であると言い切るのは浅慮であるが、宮中の見物人にとっては、確かに娯楽だ。
夏の太陽は、雲に遮られることなく光と熱を降り注いでいた。
人間よりも大きな葉で仰がれている女王は、傍らにギーを置きながら観覧している。ちなみに周囲の者はロルの粉を入念にまとい、竜はチキッタの花を食べた。ので、ギーは女王の横で体を丸くして眠りの淵にいる。
剣の打ち合い。輝かしい銀の鎧の人物が、古ぼけた鎧の人物に剣を振るう。相手はただただ防御するばかり。
「一方的ですね」
宰相がギーと反対側の場所から女王に言うと、彼女は少し不敵に笑った。
銀の鎧の人物は、どんどんと追い詰めていく。
しかし――まさに一瞬の隙。
銀の鎧が剣を大きく振り上げた瞬間、古ぼけた鎧は電光石火の早さで剣を胴に打ち込んだ。
銀の鎧は、それだけで「ぐっ」とうめき、膝を地につける。
「……まいり、ました」
割れるような歓声が巻き起こる。
女王も拍手を打ち鳴らし、立ち上がった。
御前試合で誰よりも興奮しているのが女王であった。
女王は銀の鎧の敗者にもその武勇をたたえる言葉を送りながら、古ぼけた鎧の勝者を近くまで呼び寄せた。
「いい戦いを見せてくれた、ブッフェン。最後の最後で逆転か」
勝者は兜を脱いで、濡れた犬が震えるように、汗を散らす。焦げ茶色の髪は量が多く、波打ちながら首の上で切りそろえられている。
フォートリエ騎士団団長、デジレ=ブッフェン。
「陛下を楽しませられたようで、幸い」
大仰に腕を振り頭を下げると、ブッフェンと女王は目を合わす。
二人は同時に吹き出して、遠慮なく笑い始めた。
「右の振りが前より遅くなったんじゃないか?」
「ありゃ、気づかれてないと思ったけれどな」
「同じ騎士団で何年一緒に戦ったと思っているんだ」
ブッフェンは額に汗を浮かべながら薄い口ひげをゆがませて笑む。鎧と兜が強い陽射しに光る。
ブッフェンは『鷲のブッフェン』と呼ばれることもある。それは彼が立派なわし鼻の持ち主だからという理由もあるが、鷲のように鋭い攻撃をする騎士だから、らしい。
宰相の知るところ、女王とは同じ騎士団にいた仲間であったという。
二人は昔なじみらしく、共通の知り合いについて話を弾ませていた。
「しばらく滞在できるんだろう?」
「いやあ、明日には戻らなくちゃならなくてねえ」
「……何かあるのか?」
女王の顔が真面目なものとなった。
団長が急いで帰らなければならない何かがフォートリエ騎士団であったというなら、女王も見逃せない。
フォートリエ騎士団は国で十二ある騎士団でも、比較的危険な西側の直轄地の守護を担う。
ブッフェンは歯を見せて照れたように笑う。
「いやあ、個人的な用なんですがね、実はわたしゃ結婚することになりまして、それで忙しくなって」
「それはめでたいな」
女王は嬉しそうに笑った。
「祝いの品を送ろう。何がいい? 久しぶりに私と手合わせしてみるか?」
宰相は側で聞いていて、ぎょっとした。
女王自ら剣を取って試合するなんて、めったにあることではない。相手は御前試合の勝者。いかに彼女が強かろうと、危険だ。
宰相が止めようとしたとき、ブッフェンが首を横に振った。
「悪いけれど、本気で戦えずに勝ちを譲らなきゃならない試合は、わたしにとっては全然褒美でないんでね」
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