TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
Back

   
 裁判 7 


   *   *


 裁判は、難しさを極めた。
 リュインが本当に『不老不死の魔法使い』であるのか。それを証明するのは難しく、否定するのも難しかった。
 弁護側は老成した元老院議員を証人として呼び、リュインが昔から若かったこと、変わりないことを証言させた。
 検察側はそのリュインが『不老不死の魔法使い』である確たる物的証拠がないと言った。
 長く続いたその終末に、一人の男が証言台に立った。
「ご存じのように、これは第一級秘密裁判です。この裁判結果は国へ大きな影響を与えることが予想されるため、裁判記録および結果は秘され、我々にも守秘義務が課されています。さらには傍聴するのも一定以上の身分が必要であり、その傍聴人へも守秘義務が課されています」
「弁護人、前置きはともかく、内容を」
「これは失礼、裁判長。ですが重要なことなのです。これから登場する証人は、元老院から、証言内容および素性、名、その他全ての情報を公にすることを禁じる、反せばどのような身分であれ十年以上の禁固刑がつくほどの厳しい命令が出ています。傍聴席の皆様も、その命令に縛られることになります。少しでもできそうにないという方は、退席をお願いします。このことが公にされた場合、失礼ながら、この法廷の出席者に捜査の手が及ぶことがあります」
 弁護人は元老院からの命令書を提出した。
 法廷はざわめいた。そして傍聴席からは、アレクサンドラへ視線を向ける者が多数いた。
 元老院は、アレクサンドラ側である。つまい、その命令を出したのがアレクサンドラだと思ったのだろう。
 しかし、扇の裏で冷静に笑みを浮かべながら、アレクサンドラには身に覚えがなかった。女皇派の誰かが手配したのだろうか……。
 裁判が再開されるまで、時間がかかった。
 そして再開されたとき、傍聴席にいるのは十人程度だった。女皇アレクサンドラと宰相は、その中に残っている。
 証人が傍聴席の中央を通って法廷へ向かうのを見たとき、アレクサンドラは目を見開き、あっ、と声を上げた。
 弁護人が問う。
「名をお願いします」
 男はゆっくり口を開き、答えた。
「オルテス」
 傍聴席にいるうち、大貴族以上の人間が、驚き、声を上げた。
 藍色の長髪の男は、切れ長の瞳をリュインに向ける。
 リュインは相も変わらず、おっとりとした笑みを浮かべている。
 弁護人が、説明を始める。
「大貴族以上の方々は、知ってのことと思います。彼はオルテス=グランディ。『不老不死の魔法使い』の妻であった、第四代女皇ルクレツィアの兄です」
「ど、どういうことですか?」
 裁判長が戸惑ったように質問する。
 弁護士は、オルテスの素性を簡単に語り始めた。それはにわかに信じられない話であったが、裁判長はうなずいた。
「なるほど……彼の証言は重大ですね」
「はい」
 弁護士は満足そうにうなずき返す。
「さて、オルテスさん。さっそくですが――」
「その前にいいか。この裁判を聞いている、貴族達」
 呼びかけられて、貴族は狼狽する。
「行方不明だったおれがここで現れたのをいいことに、政治に利用しようと考える奴もいるかもしれないが、それは無駄だ。皇王、女皇、両方へ宣言しておいたが、おれは皇王位継承権を永久に放棄している。そして今後一切、この国の政治には関わらない」
 ちっ、と小さく舌打ちする者がいた。
 かつてアレクサンドラがオルテスを利用しようとしたように、利用したいと思える人間は少なくないだろう。
 だが、皇王位継承権を放棄し、政治に興味がないとなると、効力は半減する。
 さらに元老院からの厳しい命令書まで出ていれば、手を出せない。
「さて、ずばり聞きますが、こちらにいるリュインさんは、あなたが550年前に見たリュインさんと、同じ人でしょうか」
 アレクサンドラは内心ほくそ笑んだ。
 オルテスを証人として連れてきたのは、弁護側。
 弁護側――リュインに有利な証言をさせるために連れてきたということだ。
 つまり、勝ち、ということ――
「宰相、あの皇王に、お気の毒ですね、と伝えなさい」
 アレクサンドラは扇の裏で、美しい笑みを浮かべる。宰相は悔しそうな顔をしながら、黙る。
 が。
「いいや」
「……え!?」
 弁護士が驚愕する。
「オ、オルテスさん、もう一度、お聞きします。こちらのリュインさんと、あなたの幼少期見たリュインさんが、同一人物か」
「違う人物だ。顔も、声も、髪の色も、目の色も。全然違うし、このリュインがかつてのリュインだと確実視できることは、何一つなかった」
 法廷はざわめいた。
 傍聴席だけではなく、検察側も、裁判官同士も、弁護側ですらざわめいた。
「オ……オルテスさん。事前のお話とは、違うようですが……」
「聞き間違いだろう」
 オルテスはすました顔である。
 ばきぃ、とアレクサンドラは扇を折った。羽が舞い散る。
 宰相は、はっはは、と楽しそうに笑った。
「面白い裁判ですね、女皇陛下。皇王陛下がここにいたならば、こう女皇陛下へおっしゃられたでしょうね、お気の毒様だ、と」
 アレクサンドラは立ち上がり、指差す。
「オルテス……!! わたくしの覇道を、どこまで邪魔をすれば……!」
 彼女の紅い瞳が憎しみと怒りに染まる。
「へ、陛下……お静まりを……」
 女皇派の貴族がアレクサンドラを止める。
 女皇派の力を削ぐため、弁護側のふりをして、こんな証言をしたとしか思えない。
 アレクサンドラは荒れ狂うように、オルテスへ罵倒の言葉を浴びせた。
 しかし、裁判へ影響は及ぼさなかった。
 その日の内に、裁判は決着づいた。
 リュインは、有罪。
 財産没収。首都・キリグートへ立ち入ることを禁じ、グランディア皇国の公職につくことを、永久に禁ず。
 ……それは、女皇派の巨大な一角が欠けたことを、意味していた。


 終了後、裁判所の外でアレクサンドラはオルテスを見つけた。
 円形の裁判所はキリグート城ではなく、城下に建築されている。元老院議院と同じくらい古く、赤と金の螺旋を描いた屋根に、円い柱が何本も立って支えている。
 裁判所からすぐに立ち去ろうとしたオルテスに、アレクサンドラは怒りの言葉をぶつけた。その彼は、肩に三羽の鳥を乗せ、冷たく彼女を見下ろす。
「オルテス! よくも、よくもあのようなことを……!! ええ? 皇王派からいくらもらったのです!?」
「……皇王派から頼まれたわけじゃない」
 よく言えるものだと、アレクサンドラは思う。
「では、どこの誰に!!」
「あんたの部下の、リュインからだ」
 アレクサンドラは捕らえさせようと兵士を呼びかけて、止まった。
「リュインから手紙が来て、550年前と違う人間だとの証言してくれってな。手紙、見るか?」
 オルテスは手紙を取り出す。アレクサンドラは奪うようにして読んだ。
 リュインの筆跡鑑定なんてできない。しかし、判が押されてあり、それには見覚えがある。拘置されたリュインからアレクサンドラ宛に出された手紙にも、同じ判が押されていた。
 ――つまり、本物のリュインの手紙。
 そして、確かに、『不老不死ではない』との証言を頼むとのことが書かれていた。
 更に、元老院へ命令書を出すように頼んだのもリュインだという。そこまでしなければ、オルテスは証言台へ立ってくれないだろうから、と。
「……どうして……!」
 アレクサンドラは惑いながら、手紙を読み進める。
『……グランディア皇国は、他国より遅れているとはいえ、魔法を忘れ、科学の時代へと進みつつあります。
 そんな中、『不老不死の魔法使い』を側におくアレクサンドラ女皇陛下は、大きな目で見れば、時代の波に乗り遅れ、荷を抱えることとなります。
 確かに、現在わたくしが消えることは、女皇陛下にとって政治的に厳しい面があることでしょう。しかし、アレクサンドラ女皇陛下はわたくしの手を借りずとも成長し、力強く突き進んでくれると、信じます。
 裁判で負ければ、わたくしは女皇陛下の側にいることはできなくなりますが、それでも、遠くからでも、見守りたいと思っております』
「あんたのような最低な女皇には、すぎた臣下だ、あいつは」
 アレクサンドラは、目の前のことしか見えていなかった。女皇派、皇王派の派閥抗争に勝つか負けるかだけの。
 魔法が忘れ去られていく時代の波だとか、そんなこと、考えたこともなかった。自分が時代だとすら思っていた。
 思えば、よき臣下だった。
 アレクサンドラに、ダニロフ公と結婚することで女皇の座を手に入れさせてくれたのは、リュインの力だった。
 皇太子時代も、ダニロフ公からの圧力で皇太子の座を退けられそうになったときも、食い止めてくれたのだった。
「……リュインは、本当に『不老不死の魔法使い』なのですか?」
 アレクサンドラは手紙を持った手を下ろす。
「さあな。わからない。……だが、最近思い出したことがある。あいつは、どんな会話の時もルクレツィアのことを、一度も『女皇』だと呼ばなかった」
 オルテスは遠い目をしてキリグートの街並みを見る。それは、吹っ切れた者の顔だった。
 アレクサンドラも思い出す。確かに、そうだった。
 彼は歴史を教えていたとき、他の皇王たちには『皇王陛下』の敬称をつけていたのに、第四代女皇ルクレツィアのときには、ただの『ルクレツィア』と呼び、第五代皇王ゼルガードも同様だった。
 アレクサンドラはそれに不満があり、何度も敬称をつけろと命令した。しかし、やんわりとリュインは受け流しながら、何回でも呼び捨てにするのだった。
 悲しみと楽しかった思い出を、懐かしむように。

   *

 中央大陸で文化発展をとげたミラ王国で、カデンツァは相も変わらず歓楽街として人を楽しませる。
 その中央で、大きな工事が行われていた。
 時折、何も知らない人が、どんな大きな家が建築されているのだろう、と眺める。
 それは家でも、カジノでもない。
 パトリーは帽子をかぶって、少し離れた場所で順調な工事の様子を仰ぎ見る。
 空も青々として、天気は良い。仕事はスムーズに進んでいる。
 にっこりと笑って、空を見る。
 視線を感じて、上げていた顔を下ろし、その方向へ目を向けた。
「あれ、リュインさんじゃないですか!」
 パトリーはぼんやりとしているリュインへ走り寄った。
「奇遇ですね。また、カジノへ賭けをしに来たのですか?」
「ええ、そうですねえ。……ところで、これは何なのですか?」
「駅ですよ」
「駅?」
 パトリーは説明した。
 最近、鉄道建設ラッシュが続いている。ミラ王国でも、首都・テベでは大きな駅がすでに建設されているのだ。パトリーの会社は鉄道業に手を出し、こうして各地の駅建設も進めている。
「グランディア皇国には、国の上の方との折り合いの問題であまり進出できないのですが、ミラ王国のテベまで行くと見ることができますよ」
「すごいものですねえ」
 パトリーは半分建設された駅を楽しそうに見上げる。
 リュインは彼女を見て、いつも浮かべる微笑みを消し去り、目を細めた。
「……思い出しますよ。わたくしの尊敬する方も、そのように、よく上を見上げていらっしゃった。何が楽しいのか、不敵な笑みを浮かべて」
 パトリーはきょとんとした。
 彼の尊敬する人、というのはどうにも想像しにくい。いつもマイペースで、奥底が見えない含んだ笑みを浮かべているし、『不老不死の魔法使い』という得体の知れないところがあるから。彼の尊敬する人というのは、もっと達観した神様のような人だろうか。
 パトリーの考えが顔に出ていたのか、リュインはくすりと笑う。
「わたくしの尊敬する方は、神様のように優しくも、欲がないわけでもありませんでしたよ」
 リュインの片眼鏡が日の光に照らされ、一瞬光る。
「……あるところに、不老不死に悩む男がいました。数々の国を渡り、数々の国の興亡を目にし、疲れ切った男は、一瞬が一年のように思え、生きることが苦しくなっていたのです。そんなとき、とある国の王の十一番目の息子に、ふとしたことからその苦しみを打ち明けました。するとね、その方は言ったのですよ。『生きるのがつらいのは、生きる目的がないからだ。俺はある。だから、一年が一瞬のように過ぎてゆく心持ちがする。生きる目的を持て』と」
 リュインは思い出すように、楽しそうに笑う。
「不老不死の男は『そんな目的なんてありません』と言いました。すると、彼は、『ならば俺がお前に目的を与えてやろう。俺の臣下となれ。そして俺の国のために、心身を捧げよ。それがお前の生きる目的だ』と。その方はそのとき王の息子でありましたが、兄も多く国を継ぐことも決まっていませんでした。にも関わらず、『俺の国』なんて言う彼は、すごかったのでしょうねえ。不老不死の男は驚きつつも、そう言われたからといって、うなずくことなどできません」
「当然でしょうね」
 パトリーはその話を問い詰めることなく、相づちを打つ。
「するとね、その方は言ったのです。『賭けをしようぞ。お前が勝てば、俺を奴隷にでもするなり、殺すなり、何でもしろ。ただし、俺が勝てば、我が覇道に力を貸して貰う』――そう、賭けを持ちかけたのです。なんとも勝手な申し出で、断わることもあしらうこともできたのですがね――そのときには、骨の髄まで彼に惹かれていたのですよ。そして、賭けに負けました。賭けにわざと負けたのはそれが最初で最後ですよ」
 ひらりひらりとリュインの服が揺らめく。
「強欲で、兄弟を兄弟と思わず、子供を子供と思わないような人でしたが――とても、尊敬しているのですよ」
「そんな人と似ていると言われるのは、複雑ですね」
 リュインは首を振った。
「違いますよ。これは、どこかの『不老不死の男』の話。わたくしの尊敬する人の話ではないのですから」
「ああ、そうでしたね。それで――その『不老不死の男』は、今もその人を尊敬しているのでしょうか。……あまり、人間として目指さない方がいいとは思いますが」
 パトリーは苦笑いを浮かべた。
「そうですね、『不老不死の男』は今も尊敬しているのですよ。彼のような生き方をしようと思ったこともあったのです。そして、自分の息子を息子と思わないようにしようとしました。息子を『陛下』と呼び、名前で呼ばないようにしたのです。……息子は、とても嫌がったのですがね。……そして、息子が死ぬまで名前を呼んでやれず、『不老不死の男』は、とても、後悔したのですよ。せめて死ぬ間際、一度だけでも呼んでやればよかったと、ずっと、ずっと、後悔しながら、その国の臣下として生きてきたのですよ。『生きる目的』のために、子を託した息子のために」
「……悲しい話ですね」
「いいえ。『不老不死の男』には、後悔する資格も、悲しむ資格もないのです。だって、人間ではないのですから」
 道には鳩が集っている。エサが撒かれているのか、そこを動かない。
 リュインは一歩、そちらへ向かって歩く。
 パトリーは彼の背を見ながら、もの悲しい気分で空を見上げた。
 リュインはいつものおっとりとした笑みを浮かべながら、振り向く。
「――と、こんな話は、ただの物語です。ただの作り話ですよ。信じないでくださいね?」
 鳩が飛んでゆく。小さな羽を広げ、大空へ飛び去る。
「……リュインさん。あたし、あなたのことで、一つ、わかったことがあります」
 なんですか、とリュインは顔で訊く。
「たとえ本当に『不老不死の魔法使い』だとしても、詐欺師だとしても――『不老不死の魔法使い』と確定させるような証明をする気も、させる気もないってことです」
 リュインはいつもの笑みを浮かべ続ける。
 笑い顔とは、本当に楽しくなくても、作れるものだ。彼はいつも、大抵、この笑み。今までの彼の人生で、どれだけその笑みの裏に、感情を隠してきたのだろうと思う。
「あなたは『不老不死の魔法使い』という人間外のものだと確実に証明するよりも、詐欺師でも嘘つきでもいいから、半分でも……ただの人間として、扱われたかったんでしょう」
 リュインの笑みが、崩れた。ほろりと、花が散るように。
 ふふふ、と彼は笑った。
 うふふ、と身体を折って、笑う。
「パトリーさん!」
 大声で言われて、また集い始めた鳩が再び飛んでいった。
「あなた、やっぱり、わたくしの尊敬する方に似ていますよ。ふふ、褒め言葉だと、受け取ってください。――それと、鉄道の件でアレクサンドラ女皇陛下へお会いするときは、わたくしからいつも見守っていますと、お伝え下さい」
「え、え?」
 このときのパトリーは、彼が裁判に負けてグランディア皇国の職を追われたことも、その後行方不明となっていたことも、知らなかった。
 パトリーは戸惑いながら、彼の後ろ姿を見ることしかできない。
 リュインはひらひらした布をはためかせ、街の人混みの中へ消えてゆく。
 それが、リュインを知る者が見た、彼の最後の姿だった。


 ――後に、タニア連邦の草原で、彼らしき人を見かけた、との情報があったが、定かではない。
 ただ――彼がいたという噂になったその場所が、後に発見される、ルクレツィア女皇の墳墓の近くだったというのは、紛れもない事実であった。



        END.


   Back



TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top