TOPNovel「だから彼女は花束を抱える」Top
 
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 裁判 1 


「――はじめに明らかにしておきたいことは、これは決して、『魔法使い』の存在を否定するための裁判ではありません。そこの被告席にいる自称・リュインが、我がグランディア皇国で数々の功績を挙げた『不老不死の魔法使い』リュインと、身分詐称を行ったことを訴えるものです」
 検事が前置きをした。
 被告席にいるリュインはいつもどおり、ゆったりとした服装で、何も言わずに聞いていた。
 リュインには、『不老不死の魔法使い』ではない、という噂が数多くある。
 しかし、裁判沙汰になったのは、これが初めてのことであった。
「では、証人を――」
 と言いかけたところで、乱暴に扉が開いた。
 傍聴人は、ざわめく。
「へ、陛下……!!」
 そこに立つのは、アレクサンドラ。黒い羽の扇を手に、慌てる係官など気にもせず、微笑みの影に不機嫌さのある顔で、傍聴席へ向かった。
「陛下がなぜここへ……」
 裁判長も恐縮し、慌てているような状態である。
「わたくしのために席を用意なさい」
 慌てて、傍聴人のほとんどが席を立つようなこととなった。係官は、アレクサンドラのために席を用意しようと、外へ走った。
 法廷は大混乱である。
「陛下。傍聴人の、裁判への中途出席は認めておりません。きまりでございます」
 静かな声が、傍聴席の隅からあった。
 それは、誰もがアレクサンドラに席を譲ろうと立ち上がる中で、一番前の席の端に、座り続ける男からである。
「わたくしは女皇です。きまりなど」
 アレクサンドラは鼻で笑う。
 彼女は、皇太子から、女皇となっていた。
 従兄弟・ダニロフ公と皇王位を争った挙句、結局、二人が結婚し、二人が即位することとなったのだ。共同統治である。
「わたくしへの指図など、おこがましいことです、宰相」
 座っている男は、この国の宰相だ。まだ若いながら、理知的で冷静な瞳を有している。
 アレクサンドラは彼を睨むように見ると、裁判長へ目を向けた。
「それより、さっさと裁判を始めなさい。このような茶番劇、するだけ無駄だというのに」
 裁判長は、女皇陛下の言葉に、びっくりしたようにうなずこうとした。
「おそれながら、陛下。女皇陛下、皇王陛下の裁判への介入は、法で禁じられております」
 宰相は口を挟む。
「法? そのようなもの、絶対たる統治者には、意味のないものです。さっそく書き換えればいいことでしょう」
「……さっそくは無理な話でございます。法を書き換えるためには、皇王陛下と女皇陛下、お二方の承認が必要でございます。女皇陛下のみの言葉では、できないのです。……これは出過ぎた口を挟むようですが、皇王陛下は書き換える必要性を感じておられないでしょうから、女皇陛下のお望みは難しいこととなります」
 アレクサンドラは扇を勢いよく、閉じた。
 皇王と女皇は、夫婦でありながら、仲は断絶している。もともと皇王位を争っていた二人であるのだから、仲の良い夫婦となれるはずがない。
 現在、グランディア皇国は、女皇派、皇王派の二つの勢力があり、いがみ合っている。
 このすました顔の宰相は、皇王の義弟である。つまり、皇王派の人間だ。その皇王派の人間が皇王の次に力を持つ宰相の座を手に入れているように、皇王派が少しばかり有利である。
「……本当に、出過ぎた口を叩くものですね」
 苛立ちを何とか抑えた声であった。
 女皇と宰相が傍聴人として出席していることからも、これは政治的に大きな裁判である。ただの身元詐称の問題ではない。
 アレクサンドラを養育し、現在右腕であるリュインは、女皇派の重要人物だ。
 『不老不死の魔法使い』とは、グランディア皇国で、もはや身分のようなものである。約600年の功績から、彼を失脚させるのは難しすぎる。
 しかし、このリュインが、『不老不死の魔法使い』ではない、とされれば、彼はただの詐欺師となり、自動的に失脚してしまう。女皇派は大ダメージだ。
 アレクサンドラの目の先の被告人席に、いつも通りのおっとりとした笑みのリュインが座っている。
 この裁判の行方が今後の政治勢力図を左右すると言ってもいいのに、表情には何の揺らぎもない。
 アレクサンドラと宰相との間に見えない火花が散っているうちに、裁判長や他の人々は冷静さを取り戻し、裁判は再開された。
「では、検察側からの証人を。歴史学者・ハッサン氏を」
 現れたのは、いたって普通の中年の男である。
 彼が長年歴史学者をやっていること、古い政治的文書に精通していることがわかると、検事は問いかけた。
「では、ハッサン氏。歴史学的に、『不老不死の魔法使い』を知っていますね?」
「はい、もちろんです」
「彼の経歴を、簡単でいいので、教えてくれませんか」
「リュインという名が歴史学上に登場するのは、ギリンシア神教を教え広めた、アランの書簡からです。今からおよそ、1000年前。書簡の中で、リュインという人物は『不老不死の魔法使い』であり、アランの友人であると、書かれております。このことから、以後の歴史で、ギリンシア神教では、『魔法使い』という存在が差別されることなく認められました。その意義はきわめて大きく……」
「ああ、それは結構。それで、リュインという人物のそれ以後の経歴は?」
「都市国家の議員となったり、さまざまな国にその名の人物がいたとされています。その国々は100以上に及ぶのですが……」
「一つ一つ言う必要はありません。問題は、我が国グランディア皇国とのつながりです」
「はい。グランディア皇国初代皇王・サッヴァの、建国の手助けをした、というのが、グランディア皇国史の、最初の登場です。その後、二代皇王・ポリカールプ、三代皇王・ヴァシーリーの元で魔法軍将軍として、活躍をいたしました。そして、四代皇王ルクレツィアと、皇国歴66年、結婚」
 自分のことが話されているというのに、リュインは別のどこかを見ているような様子で静かに座っている。
「女皇の夫としてありましたが、そのルクレツィア女皇が皇国歴89年に崩御されると、皇配殿下の位を返上。ただの魔法軍将軍、という肩書きとなりました。二人の子が五代皇王ゼルガードで、その血が現代の皇王家にまでつながっております」
「なるほど。これ以後の経歴は良いでしょう。600年分の歴史を紐解くことが、この裁判の目的ではありません。さて、今回、被告人・リュインの邸宅を捜索した結果、さまざまな証拠物件が出てまいりました。ハッサン氏、その鑑定をされましたね?」
「はい」
「捜査の結果、膨大な量の書物があったとのことでしたが、その中身の鑑定結果を言ってもらえますか」
「はい……数々の貴重な、古い書物、手紙がありました。圧巻は、日記です。いや、毎日書かれたようでなく、書きたいときにだけ書いたものでしたから、書き付けのようなものでしょうか。それが、数百年分です」
 傍聴席にざわめきが起きた。
 アレクサンドラのの顔に、深い笑みが浮かぶ。
 数百年分の、一人の手による、書き付け。『不老不死の魔法使い』たる、立派な証拠だ。
 ただ気になるのが、この証言は、検察側の尋問である。
 「静粛に」と、裁判長が木槌を叩く。
「ハッサン氏、もう少し詳しく、鑑定結果をお願いしますか?」
「あまりに莫大な量でして、鑑定は全て終わりません。いや、数年かかるでしょう。ですが、各年代ごとの比較検証を行ったところ、筆跡が合わないのです」
 またもや、ざわめきがわき起こる。
「異議あり! 筆跡など、人間変わってゆきます。特に1000年以上生きていると言われている人です。変わってゆくに決まっています。これは被告を陥れる、罠です」
 弁護人が異議を唱えた。
「しかし、年代比較をすると、筆跡が違う。これは事実です」
 この検事の言葉に、裁判長は弁護人に、異議は認めません、と答えた。
「裁判長、その書き付けの本の一部と、ハッサン氏の鑑定結果書を証拠として提出します」
 裁判長はうなずいた。
「受理します」
 検事は手袋をはめて、その本を取り出した。表紙もぼろぼろの、あきらかに古い本である。それを数冊、裁判長に渡した。
 裁判長も手袋をはめ、中身をぺらぺらと見た。
「ふぅむ……確かに、こちらの本と、そちらの本は、字が違いますね……」
 検事は証人に向き直る。
「さて、ハッサン氏。中身の方は、どうなのでしょうか」
「日常的な、花が咲いた、雨が降った、ということなどが主で、短文で書かれています」
「『不老不死の魔法使い』リュインは、政治的にも高い地位におりました。では、政治的なことがらや、宮中でのことは、何か書かれていますか?」
「それが……ほとんど、書かれていません。政治的対立を深めていたとされている時も、窮地に陥っているとされた時も、曇り空だ、暑い、といったことばかりです」
「そんな文章では、本当に『不老不死の魔法使い』が書いたのか、わからないではありませんか」
 アレクサンドラは誰にも気づかれないように、歯ぎしりした。
 そして頭の中で、リュインを罵っていた。
 本当に『不老不死の魔法使い』なら、それこそ証明するようなことを書いておけ、と。もしただの詐欺師だとしても、ばれないようにしておけ、と。
「では、彼が四代皇王ルクレツィアと結婚していた時期は、どうですか? 唯一の結婚期間、子供も誕生していますし、女皇の夫だったのですし、今まで歴史的に明らかにされていなかったことも、わかったのではないでしょうか?」
「いや、その数十年のうちの書き付けは、一行しかないのです。現代語にして、『夜が寒い』それだけです」
 アレクサンドラは扇をぎりぎりと折れるほどに握りしめる。
 宰相は薄笑いを浮かべていた。
「ハッサン氏、あなたは数々の歴史的な有名人の書簡や書き付け、日記を読んだり、研究したことがありますね?」
「はい」
「女皇の夫というような位置にある人が残したのが、たったこれだけというのは、普通のことなのでしょうか」
「あまりないことです。なくなった、燃えた、というならまだしも、ページが抜けた様子も破られた様子もありません。意図的に、書かなかった、としか」
「ハッサン氏、どうしてだと思いますか?」
「……おそらく、書けなかったのではないでしょうか。リュインという人物が、四代皇王ルクレツィアの夫となったことは事実です。たとえば彼になりすますために書いたとしても、その当時の彼のことは、書けなかったのではないでしょうか。嘘八百の生活を書き、後で、別の歴史的事実が明るみに出れば、嘘であるとわかってしまうのですから」
「異議あり! これは証人の、勝手な推測にすぎません!」
「異議を認めます」
 こうして、検事の証人との尋問が終わった。

 次は、このハッサンを、弁護人が尋問するのである。
「さて、ハッサン氏。聞きたいのですが、さきほど検察側が証拠として提出した、この本。これが、書き付けの本ですね?」
「はい」
「一冊一冊、年代を教えてくれますか?」
 弁護人は、本を一冊ずつ上に上げて、問う。
「右の本は、皇国歴125年から140年、真ん中の本が302年から330年、左の本が、469年から501年までです」
「そう……確かに、筆跡はそれぞればらばらですね。さて、ハッサン氏は、他に『不老不死』と呼ばれる人を知っていますか?」
 ハッサンは、ぽかん、とした。
「は――?」
「どうなんです?」
「え、っと、ダラクタ兄弟とか、妖女リシリシとか、でしょうか」
 彼らは伝説の人々である。神の肉を食べた罪で不老不死になったとか、そういった古くから伝わる物語の人々である。
「いえ、生きて、会ったことのある、もしくはその字を見たことのある、『不老不死』の人々です」
「……あるわけがないでしょう」
「では、何百年も生きた人は、筆跡が大幅に変わるかもしれない。それを否定できませんね? 他に『不老不死』の人の字を知らないのですから」
「は……あ、そうですね……」
 他に『不老不死』なんて人が、ころころいるはずがない。
「さて、不思議なのですが、リュインという人物は、手紙を送ったことはなかったのですか? 他の人のところに手紙などは残っていないのでしょうか」
「いえ。何通、何十通と残っています」
「それと、この本の筆跡と比べてみましたか?」
「はい……しかし……」
 ハッサンは表情を曇らせる。
「セラ教会にも5通書簡が残っているのですが、同時期にもかかわらず、どれも筆跡がばらばらなのです。……従来、歴史学において、リュインという人物について扱うことが難しかった原因は、この筆跡の違いなのです。同年代でも別人のような字を書く。特徴的なクセが見あたらない。時期を合わせても、この本とも、筆跡が合わない」
「これは重大なことではありませんか。つまり、リュインという人物は、ころころと筆跡を変える人物だった、ということでしょう」
「異議あり! それはそれぞれ、別人であった、と考える方が納得しやすいことです」
 アレクサンドラはこの不毛な議論に、疲れてきた。
 議論の焦点は、リュインという人物が『不老不死』なのかどうか。そして、女皇と結婚して子をなした人物と、被告席に座っている人物が、同一人物かどうか。
 アレクサンドラは幼い頃よりリュインに育てられてきた。そして、子供の時とほとんど変化がない、と思う。
 が、彼女は自分本位なので、他人の容姿が同じであろうがあまり興味はない。はっきり言えば、どうでもいい。アレクサンドラはかつて、不老にしてとリュインに頼んだことがあるが、断わられた。その時点で、彼がそうであるかなんて興味をなくした。
 問題は、自分の右腕が失脚してしまい、己の立場が弱くなってしまうかもしれない、その危惧だけだ。
 弁護人は、本の内容を話し出した。
「大体、書き付けに何を書こうが、本人の自由でしょう。政治的なことがらを書かなければいけない、というわけではない。結婚期間の『夜が寒い』だって、彼にとってみれば、深い意味があるのかもしれない。あえて書きたくない、と思ったからこそ、書かなかったのかもしれない。彼にとって、唯一の結婚生活期です。普通とは違う思いが――」
「弁護士さん」
 リュインが声を上げた。
 捕らわれ、裁判を受けている最中だというのに、おっとりとした声音である。
「あなたはわたくしを弁護するのが仕事でしょうが、わたくしは心中を過慮されることを、望みません」
 リュインが裁判において発言したのは、これが最初で最後である。
 その後、彼は証言台に何度も立たされたが、黙秘したからだ。
 アレクサンドラは彼の変わらぬ表情を見た。子供の時から変わらぬ、何を考えているのかわからない、その表情を。


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