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――7――
ジギスムント二世の伝記というと、まずはここから始まるものが多い。
彼は王宮の退廃的な文化に染まっていた歴代国王とは毛色が違い、戦場を駆け回る王というイメージができた。それがこの『スバリオ奪還』から始まる。
彼はいつも真っ白い鎧に身を包み、聖剣ハリヤを振り回し戦場を駆けた。真っ白い鎧は血で染まることも多々あった。
遠目からでも、見事な黄金の髪をはためかせていたので、『戦場の黄金王』と呼ばれる。その目立つ姿のおかげで危険な状況になることもあったが、味方の兵士たちに神格化されたようで、兵士を奮い立たせる理想的な指揮官となった。ただ、『黄金王』と言われながらも、国庫は度重なる内乱で破綻寸前であったが。
先に結末を言うと、ジギスムント二世はこの五年後十九歳で処刑される。レーヴェンディア王家最後の王として。
この『スバリオ奪還』の後、セランポーレ公爵と手を結び、反国王軍をだまし討ちのような形で殲滅。その後、急速にセランポーレと再び仲が険悪となり、ミラ王国と手を結んでその助けを借り、セランポーレ公爵の持つ軍を倒す。セランポーレは戦死。――無論彼の領土の分配にミラ王国もおいしい思いをした。各地の貴族たちと小競り合いをしている間に、レーヴェンディアの直属の軍のうち、第二騎士団が反旗を翻した。それに打撃を受けたレーヴェンディアは、元第二騎士団と生き残りの反国王軍の力によって、三百年の歴史に幕を下ろした。
その間、ジギスムントは二度結婚した。
一度はセランポーレの娘と。カタリナ姫の暗殺の首謀者がセランポーレだと分かった朝、ジギスムントは傍目にはにこやかな顔で結婚式を迎えた。だがセランポーレと仲が悪くなって戦争する直前、王妃は国王暗殺の計画者として処刑される。
二度目はミラ王国の王女と。ミラ王国は当時女王が玉座にいて、その妹である。王位継承権は四番目の王女であった。その彼女も、ミラ王国側の強引な里帰りによって、半年も経たずに別れることとなる。そのとき、もしかしたらミラ王国はすでに第二騎士団の裏切りの情報を掴んでいて、王女だけでも助けようとしてのことかもしれない。その王妃は二度とレーヴェンディアへ帰ることはない。
彼に公式な王子は存在しない。
ただ、一人だけ平民との間で男の子ができた。無論庶子であり、ジギスムントはそれが自分の子だと証明するものを送りはしたものの、その子が王子として王宮に来ることはない。それを発表する前に、ジギスムントは死んだから。その子にはジギスムントは一度も会うことはなかった。
ジギスムントは変わった。
どんな喜びの叫びにも苦痛の悲鳴にも心を動かされることはなくなった。
ただ、『国王陛下』として。それしか、彼にはない。
彼のことをどう捉えるか、とは後世の歴史家たちも数多くの説がある。
時代さえ悪くなければ、もう少し年をとっていれば、レーヴェンディアを支える立派な王になっていた、という賛美。
ただただ闇雲に戦争をした幼すぎる愚王、という非難。
一般的には、聖剣ハリヤを振り回す豪胆な若き王、というイメージである。
「陛下も分からない人だ」
ジギスムントの父方の従兄、サイアスは酒を片手にそう言った。
ジギスムントとサイアス、その二人しかその場にはいない。
ジギスムントは背も伸び、鋭い顔に成長している。その当時十八歳。声も変わり、ミラ王国出身の王妃がミラ王国に里帰りしたばかりのころ。
「何が、分からないと?」
「何を考えているのか、ですよ」
「何を、とは決まっている。この結婚の幸せな未来についてだ。我が異母妹と、サイアスどのとの、な」
そう。その場はサイアスとジギスムントの異母妹の婚約の祝宴の場だった。ただし、大騒ぎする会場ではなく個室でゆっくりと二人は話し合っていた。
「それはそれはありがとうございます、陛下。ですがね、私は不思議なのですよ。陛下はずいぶんと昔と雰囲気がお変わりになったものだから」
ジギスムントはのどの奥で、く、と笑う。
そう。あのままの、戦争に怖がっていたままの子どもであったら、このサイアスは国王と政略結婚をして手を結ぼうとは考えなかったであろう。
「聖剣ハリヤを手にしたからだ」
ジギスムントはこんな場でもそれを佩いていた。
「噂の聖剣ですね。陛下の戦うお姿はずいぶんと広まっておりますよ」
「世辞はいい」
そうですか、とサイアスはちろりと細い目で国王を見る。
「まァ、私たちのような『国王派に属さなければならない』人間にとって、久しぶりのマトモな王を持って、嬉しいんですよ」
ざっくばらんに言った言葉に、ジギスムントは目を少々見開いた。そしてまた、のどの奥で笑う。
「余の機嫌が悪ければ、胴と首が切り離されていたぞ」
「冗談でしょう。私を切る? この情勢でそんな馬鹿なマネはしないと分かっていますよ。それぐらいは陛下を買っていますから」
ジギスムントは声を立てて笑う。こんなに機嫌がいいのは久しぶりだった。
「それでこそ。第一王位継承者だけ、ある」
「そんなもの、あなたの子どもができたらすぐにどんどん順位は落ちてゆきますよ。伯父上のようにたくさん子どもを作られでもしたら」
「余は父上とは似ていない」
シグルド八世の子は何人いたのか把握しているものも少ない。それに比べ、ジギスムント二世は発表していない庶子が一人きり。せっつかれているが、もともと子を作る気がないからだ。
「ええ、あなたはあんな暗愚な王ではない。先王アルブレヒト三世のように幼すぎた、王宮から出ない王でもない。ただ、少々喧嘩っ早い」
サイアスのその言い方はジギスムントにとって心地よかった。褒められ煽てられることは数多くあったが、誉めながらけなされたのは初めてだった。
「サイアスどの。余はあなたを気に入った。……こんなに気分よく話をするのは……本当に、久しぶりだ」
手ずから酒をなみなみと注ぐ。
「これは……恥の昔話なんだがな。余の即位ごろのことを覚えているか?」
「陛下の……即位……。もう、六年前ですか? 私も子どもでしたからあまり詳しいことは……」
サイアスは年のころはジギスムントより少しだけ上だ。
「即位前、母が死んだ。それから兄が死んだ。そのときの余は……弱い子どもでな、国王になるということが怖く、それよりも二人が死んだことに悲しんで、混乱するばかりだった」
「今とは見る影もない話ですね」
茶々を入れるサイアスに、ジギスムントも笑う。
「……スバリオ奪還のすぐ前、カタリナ姫が死んだときにこれは思い出したんだが……即位式ごろの余は本当に混乱していて、『それが何のせいなのか』と考えていた」
サイアスは首を傾げた。
皇后は病気で死んだし、アルブレヒト三世は表向きは事故の、自殺。理由は何か、といわれても、サイアスには分かるはずもないだろう。
「余はどうして自分の前から皆がいなくなるのかと考えていたんだ。そのしばらく前には父上も亡くなり、その直前には侍従だったエディも死んでいた。その原因を余は、この聖剣ハリヤにあると思ったのだ」
ちゃき、と聖剣ハリヤを前に出した。
「この聖剣ハリヤが、余の周囲の人々を殺す、そう考えたわけだ」
沈黙が訪れた。サイアスは前に出された聖剣をじっと見ていたが、耐え切れなくなったのか、ぷ、と吹き出した。そして椅子に寄りかかって笑う。
「変なことを考えたものですねえ、陛下も。その聖剣ハリヤが夜中に勝手に動き出して、殺しまわっている、というわけですか? 逆に便利ですよそれは」
おどけた調子のサイアスに、ジギスムントも口の端を上げて笑う。
「そう、恥の昔話だ。何を考えたのかそれを本気に考えて、天井裏に隠させたのだから、自分が分からなくなる」
「天下の秘宝をそんなふうに扱うなんて陛下ぐらいなものですね」
そして話はサイアスの恥の話につながり、夜が更けるまで酒を酌み交わしていた。
サイアスは知らない。
ジギスムントはそれを今、『真実』だと考えていることを。
カタリナ姫の死のあと、聖書に神話、歴史書を紐解き、聖剣ハリヤを持った人物のことを調べ上げた。入念に調べ上げると、皆が皆――神話の時代の人々ですら――周囲の者たちに去られたり死なれたりして、失っている。決まって、孤独になっている。
それもただの偶然かもしれない。
直感。理由などない。それをジギスムントは『真実』だと思い込み、変わることはない。
ジギスムントは悟っていた。
「なあ、サイアスどの。これはいつまで続くかな」
『これ』という言葉が何をさすのか訊く前に、サイアスは気づいたようだ。
ちび、と酒を飲んで言う。
「あなたが死ぬまでですよ」
ジギスムントの前髪が目にかかった。サイアスの言葉を静かに聴く。
「レーヴェンディアは、この内乱で終わりです。これだけ国力が落ちていれば、もう、立て直すことは不可能なんですよ。ええ、陛下。あなたはよくやっています……レーヴェンディア末期の類まれな王として歴史に残る。でもね、もう無理でしょう。目のこぶがなくなっても、どんどんウジのように害虫はわきあがる。今領主たちと小競り合いが続いていますが、このレーヴェンディアは誰にいつ倒されても、おかしくない。守り通すことはできない。分かっているんでしょう? 果物は腐ります。その時期なんです。国土を半分にでも減らすというなら話は別ですが」
「それは問題外だ」
サイアスはぐい、と飲み干す。「わかっていますよ」とサイアスはつぶやく。
「あなたほど、ひどい王様はいないでしょうね。もう国として終わると分かっているのに、わざわざ内乱を長引かせてまで生き延びようとする。今までの内乱でどれだけの人々が死んだか分かっていますか?」
ジギスムントはかすかに笑う。
「サイアスどのは反国王軍にでもお入りかな? 余はわかっているつもりだ。国民が内乱に疲弊し、もうたくさんだと思っていることも、この絶好の機会に領地を増やそうと考える馬鹿な領主たち――足元が落とし穴だとも気づかない本当におろかな人間の考えも、この国は腐っていると憤る人間たちの考えも。サイアスどのは果物に例えられたが、国というものは一人の人間だと考えると分かりやすくないか? いま、もう死に掛けた老人であるレーヴェンディア。だが、いくら死にそうだからといって、理由もなく自ら死を選ぶことができる人間は少ない。むしろ、少しでも生きたいと思わないか? その生きるほんのすこしの時間に、何もできなくても、意味はなくとも。
死の瞬間は生きるものにとって恐怖だ。それを逃れる為に、生きるしかない。余はだから、惰性で国王なんてやっているのだろう。無理にでも、誰を犠牲にしても殺しても、国を生かして。……国王以外に、光はないのだから」
ジギスムントは惰性で生きていた。
彼には国王以外に光はない。誰もいないから。それ以外の色は失われたから。
それさえ失ったら、残るのは暗黒だと分かっている。それは死に等しい。
……遠い昔、虹のように鮮やかに自分の周囲に集っていた人々は、もう誰もいない。
『国王』以外にすがる道はない。
サイアスは苦笑して、何も言わなかった。
三ヵ月後、そのサイアスは戦死する。
全ては風のように去ってゆく。ジギスムントだけを残して。
ジギスムント十九歳の夏、首都アルジャは元第二騎士団と反国王軍に占拠される。
国王ジギスムント二世は聖剣ハリヤをその軍に奪い取られ、簡単な裁判を受ける。全ての非を押し付けるのが目的なのだから、もちろん発言権はほとんどない。
そして一週間後には処刑が決まった。
夏の、晴れた日。元国王はみすぼらしい服を着せられ、処刑台に立っていた。
公開処刑のため、人は多く集まっている。
その全ての人が、国王に対して悪口や怒りの言葉や呪詛を吐いていた。場はそんな声に埋め尽くされ、だがジギスムントはほとんど目に入れていない。
そこはアルジャの南の丘。東の森が見えるはずだった。だが、東の森はない。内乱の最中に燃えたからだ。ろくに緑はなく、倒れた木が遠くから見える。
「名は」
と見届け人が巻いた紙を手に聞く。
ジギスムントはまるで演説をするように朗々と言う。
「余はレーヴェンディア国王ジギスムント二世! 人は余を、『ハリヤの使わす聖烈王』、『戦場の黄金王』と呼ぶ」
それに対して見物人のブーイングの声が大きくなる。
ジギスムントは押さえつけられうつ伏せの格好となる。
後ろから処刑人が現れた。大きな処刑用の反った剣を持っている。
どくん、と心臓が波打つ。戦場で傷を負ったことがあるが、あれは戦場という一種非日常のことで、こんなにも手も足も出せない状況でもない。
(ああ……余はもう死ぬのか)
ふ、と野次馬の中に何か、『色のあるもの』が見えた。
モノクロの世界に、鮮やかな色が。とうの昔に失ったはずの。
野次を飛ばす人間ばかりの中で、その人は、その人だけは何も言わず、ただ自分を見ている。
頬に一筋の傷。後ろに撫で付けた金髪。
(まさか)
今度は別の意味で心臓が高鳴る。
(まさか、まさかまさか)
だが、覚えている。あの一筋の頬の傷。自分の負わせた傷を。そしてその顔。
彼は……ロタールはいつものとおりに心配そうに見ていた。
涙が出かかった。
かつてとは違う。ジギスムントはもう大人である。そして、国王として以前とは何もかもが違う。
それでも、前のように情けない声で呼びそうになる。
「最後に残す言葉は」
見届け人が機械的な声で言う。
最後に、自分は王の血は継いでいない、国王としてあるべき人間ではなかった、と告白するつもりだった。誰もが驚くだろう。国王派の人間なら、今までの戦争の苦しみを考えて恨んで憎むかもしれない。それが、復讐だった。この、レーヴェンディアという国に対しての。玉座に縛り付けた運命というもの、ハリヤに対しての。
だが、そんな言葉は出なかった。
ロタールを……憎んでいたことも、恨んでいたことも事実だ。
でも、そんな言葉も出ない。
(余は、本当に言いたいのは……余は)
彼だけを見つめて、出た言葉は、小さな呟きだった。
「……ぼくは、ぼくなりに大切に思っていた」
周囲の声にかき消されて、誰の耳にも入らなかっただろう。でも、彼なら聞いてくれている気がした。
「遠い地で、元気で、幸せに」
わかっていた。
見つめるロタールは、本当のロタールではない。
だって、あの頃と何も変わっていなかったから。最後に見た姿と。成長もしていない、あのときの、十六歳のロタールのまま。
(聖剣ハリヤ、手の上で踊ったご褒美のつもりか?)
ジギスムントはそっと目を閉じる。今はどこにあるのか分からない相棒に、心の中で話しかける。
(……聖剣ハリヤ。分かっている、お前も孤独だったのだろう、だから人を孤独にさせていったのだろう。いい迷惑だな。だが、気持ちは少し分かる。だから余はお前と共に戦っていたのだろう)
処刑人がジギスムントの横に着いた。
(……結局は、余の問題だったのだろう。余とこの国の。それをお前に押し付けただけの気もする。そうしないと生きてゆけなかったほど、余は弱いから。ふふ、余は恐怖しながらも、このときを待っていた。……孤独とは終わりのない地獄だ。どうせ余は地獄行き、何も、変わらない……)
「余はレーヴェンディア国王ジギスムント二世」
独り言に近いつぶやき。だが、凛と響く。
「余は、レーヴェンディア国王ジギスムント二世……」
『ジギスムント様が二度同じことをいうときは、自分に言い聞かせたいからですわ』というカタリナ姫の言葉を思い出す。もう記憶もおぼろげな最愛の、亡き妻を。
恐怖の瞬間。目は閉じていても、ロタールがじっと見てくれている気がした。
いつものように、兄のように、父のように、優しく……。
……レーヴェンディア最後の国王、ジギスムント二世は処刑された。
レーヴェンディア王国の終焉である。
内乱はその後収まり、元第二騎士団と反国王軍によって、新たな国が作られた。
名をハリヤ国という。
最高権力者は将軍であり、完全なる軍国主義の国となる。
その軍国主義のせいで、戦争ばかりすることとなり管理・監視され、国民の生活は以前よりもずっと悪くなる。「レーヴェンディアのときの方が良かった」という勝手な言い分が陰で言われるようになることを、ジギスムントは知らない。
青い海原で、一艘の船が航海中。
甲板に二人が立っている。一人はこの船の船長。白いひげを伸ばした、五十代の男。
もう一人はずっと若い。まだ十代で、茶髪っぽい金髪は短く刈られ、片目に眼帯をつけている。
「……そういや、レーヴェンディアでのこと、知ってっか?」
口火を切ったのは白ヒゲの男だ。
「あの、ずいぶんと長い間、きな臭かったとこでしょ」
「そうだ。そこがどうやら国が倒れて、新しい国ができるそうだ」
「……レーヴェンディアが、倒れた? ……じゃあ、国王は?」
「決まってんだろ、処刑だよ処刑。んなもん当然だろうが」
「……へぇえ」
「新しい国は、ハリヤ国というそうだ」
「ハリヤ?」
「おう? おめえ何か知ってんのか?」
若い男は眉を寄せている。
「ハリヤっていうのは、あのあたりで信仰してる神様の名前なんすよ。その神様の名前をつけるなんて、ねえ……」
その国もいい国とは言えなさそうである。眼帯の男は続ける。
「そのハリヤって神様は元レーヴェンディアの地域だけじゃなく、南のヴァイア=ジャハでも一部信仰されているからねえ、いろいろアブナイんじゃねえかな」
「おう、エディ。おめえずいぶん詳しいな」
「詳しいってほどじゃ……」
「おおそうか。お前確かレーヴェンディア出身だったっけな」
「昔のことっすよ」
エディは後ろを向く。
「なあに、ふてくされてんだ?」
「ふてくされてなんかねえよ」
「故国を失った哀愁というやつかい? 国を離れて十年も経つのに、やっぱり懐かしいのかい?」
エディは苦笑いをした。
「おやっさんに、木の板につかまって海で漂流中のところを拾われたとき、おれは八歳だぜ? ろくに覚えてないさ」
(……ただ、かすかに記憶があるだけで。よく4人で遊んだとか、その程度なんだよな)
『エディ、ちゃんばらごっこをしよう!』
よくそう言った人はもういない。風の噂にカタリナ姫も死んだことを知っている。
揺れる船べりから、水平線まで続く海を眺める。
イルカが飛び跳ねた。その軌跡を追うように波が立ち、小さな虹ができた。
虹。
何かを思い出しそうになる言葉。
誰かが……『もう一度、見たいね』と。エディの口から、衝動的に言葉が出た。
「おやっさん!」
「なんだ」
「…………。いや、海ではよく虹を見るな、って思ったのさ」
何を当たり前のことを、という顔つきで船長は見た。
「……あんなもん見て喜ぶのは女子供だろ」
「だよなあ……」
だが、どこかで狂おしいほどそれを望んだ人がいた気がした。
虹のように鮮やかな世界を。鮮やかな人たちを。……全ては失って。
エディは塩辛い風を受け、水平線の先を眺めていた。
「おーし! シュベルク国のレベン港に行くぞー!」
「またおやっさんの気まぐれがはじまったー」
「文句あっか?」
「大有り!」
二人はからかい合いながら、船内へ戻ってゆく。
雄大に海は広がり、数時間経つと、そこに日が静かに落ちた。
熟した果実のようにひしゃげて、毒のように鋭く光を発しながら、海の向こうへ行くときは、悟ったかのように素直に日は落ちた。天高くあったときとは見違える姿。
何かの一生に、落日は似ていた。
END
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