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若者と老人がいた。
「……やはり、皇子にはそろそろ覚悟を決めてもらいたいのじゃ」
「んで、おれからその決定を皇子に伝えろと? 自分でおっしゃればいいのに」
「年寄りからよりも、年の近い者からの方が皇子も聞き入れやすかろうて」
「あー、たしかに皇子は元老院を煙たがっているからなあ。顔見せただけで身構える。また、やっかいごと言い出してきた、って感じに」
老人がじろりと若者をにらみ上げる。
「や、やだなー。おれがそう思ってるわけじゃないっすよ? あくまで皇子が!」
「……まあ、よかろう。とにかくお前から皇子に伝え、説得するのだぞ!」
その説得こそ、難しいというのに。若者は内心でうんざりする。
けれどもそんなこと、おくびに出さず、頭を下げて引き受ける。
「はい、わかりました。必ずや皇子に」
若者は頭を下げながら、まったくやっかいごとを依頼されたものだ、と愚痴をこぼしたくなる。あの皇子が簡単に承諾するわけがないというのに。
それはどう言い方を変えようが、人生の墓場に入れということに変わりない――
第1話 人生の墓場
シュベルク国の都ライツは、貴族文化の華やかな街だ。
日々淑女は身に着けるものに気を使い、紳士は退屈させない会話術に磨きをかける。それにともない、豪華な服飾店、素早い情報を提供する新聞社が軒をつらねる。
が、豪華な服飾店に売られている服は、中央大陸ではすでに何年も流行おくれの品だ。情報もまた、国土が島であるゆえか、どこそこのご婦人が結婚しただの、どこぞの港で人二人分の体長の怪魚を釣っただの、田舎じみて平和ボケした話ばかりが流れていた。
中央大陸の情報がなかなか伝わりにくいせいもあるが、ともかくそこに暮らす貴族たちは、ちょっと流行おくれのドレスを着て、平和な談笑をする人々だったのである。国にまったく問題がないというわけでもないのだが。
春も近いとき。その頃の話題は、もっぱら皇子の結婚話であった。
「ねえねえ、皇子様のお妃選びがあるって本当?」
「ほんと、ほんと。皇子様の側近たちが、もうすでにいろいろ調べているらしいわよ」
「何が基準なの?」
「知らないわ。でも、やはり美しくて、気品があって、輝くような美貌の令嬢でしょう」
「誰かしら。リード家のフランソワ嬢? それともカーボー家のブリュースカ嬢かしら」
「……皇子様が結婚ねえ。むしろ、結婚話が出るのが遅かったくらいよね。そういえば私、皇子様の顔、全然知らないわ」
「私もよ。外国に何度も遊学されているから。今だって大陸の方にいらっしゃるのでしょう?」
「え、それで結婚に間に合うの?」
「もうすぐ帰ってこられるそうだから式には間に合うわよ、多分」
と、こんな具合である。彼女たちはクラレンス家の館で会話をしていた。クラレンス家は、シュベルク国で有数の力を持つ貴族である。会話をしている中の一人は、このクラレンス家の長男の嫁である。
楽しくお茶を飲みながらの談笑中に、ずんずんずん、と少し乱暴な音を立て部屋に入ってくる者がいた。
「あら、パトリーさん。久しぶりのお帰りね」
そう言ったのは、長男の嫁である。
入ってきたのは少女だった。赤黒くつややかな髪は肩ほどでばっさりと短く、ズボンを穿きジャケットを着ている。つまり、紳士用の服を着た、男装姿の少女である。確かに色はチェックで女性らしさも少しはあるが、それでも男装である。おまけに手には何冊もの本を持って、ドレスを身にまといティーカップを持った貴族のご婦人方ばかりのその部屋には、一目瞭然で異質だった。
瞳は紫水晶の色で、意思の力を持ち、生き生きとしている。
「義姉様。久しぶりです」
「今回は何をしていらしたの?」
「ディール博士の館でしばらく経済学の講義を受け、何冊か書物をお借りしたんです。それより、あいつ……オルテスはまだいますか?」
「ええ、まだいらっしゃるわ」
その言葉にパトリーは少し眉を寄せて、好ましくないという感情を出した。それは一瞬のことであるが。
「では、皆さん素通りしてすいません。私の部屋までこの部屋を通らなければならないもので」
と、パトリーは入ってきた扉とは別の扉から出て行った。
あっけにとられて見ていた他のご婦人は、そのときになって感嘆ともあきれともつかぬため息をつく。
「あなたの義妹さん。いつ見てもすごいわね……」
「変わってるわぁ……」
「どうしてあんな男装をしているの?」
パトリーの兄の嫁はおっとりと説明する。別に不快という様子も驚いている様子もない。それだけ慣れているということだ。
「本を取ったり動き回るのに、スカートが邪魔なんですって。使用人を使えばいいのに、自分で動くほうが早い、って。いつもどこかの先生のところに経済学と商品の専門知識を学びに行って、更には自分の足と自分のお小遣いで貿易をしに行くのよ。詳しくは知らないのだけど、会社も作っているらしいわ。赤字にはなっていないからお義父様は何も言わないのよ」
お小遣いといっても国で有数の貴族の娘である。一般のものとは桁が違う。
「何を考えてそんな事始めたのかしらね」
「あなたもたいへんねえ。義妹さんがあんな変わり者で。皇子様のとは別の意味で、結婚が心配ね」
パトリーは本を自室に置いてから、ある部屋の扉を乱暴に叩いた。そこは本来客室であるが、もうすでにある人物の私室と成り果てている。
「オルテス! いるのはわかっているのよ!」
その言葉に、しぶしぶといった様子で扉が開いた。
「おや、パトリーお嬢様、お帰りになったんですか」
目の前にいたのは長身の男である。剣を帯刀していて軍関係者かと思うが、護身用ということだった。藍色の髪が長く背中を流れている。年は20代前半ごろ。目鼻立ちが整っているのだが、そのせいでだまされたとはパトリーの言である。
「敬語なんて白々しい。いいかげんにしなさいよ。どれくらい我が家に滞在していると思っているの」
えーと、とオルテスはあらぬ方向をみて考える。パトリーにはそれがフリだということはもうわかっている。
「そろそろ……6ヶ月になるかな」
「人の家に世話になってそれぐらい経てば、『そろそろおいとまします』の一言でも言って出てきなさいよ! いや、言わなくてもいいからとにかくでてけ。他の家族は礼儀正しく遠慮して、何も言わないかもしれないけど」
「最近のパトリーは怒った顔しか見ていないなあ。にこやかにしていたほうがいいぞ」
「そんな言葉でご・ま・か・せるか!」
パトリーは詰め寄り、今日こそは出て行かせるぞ、という気合で睨み付ける。だがオルテスはそれをいとも平然と受け止める。
「そもそも、『我が家に泊まっていってください、お好きなぐらい』といったのはパトリーだろう?」
う、とパトリーは詰まった。
そもそもこの人畜無害な顔をした男とパトリーが出会ったのは、6ヶ月前。貿易の関係で森の中、馬車に乗って走っていたところを盗賊に襲われたときである。それを助けてもらった縁だ。ちょうど行き先も決まっていない気ままな一人旅だということで、
「我が家に泊まっていってください、お好きなくらい。命の恩人には感謝してもし尽くしません」
と、お礼の品を受け取らない好青年にそう言ったのだった。そのころ、パトリーは命の恩人に対し礼儀を守り、最大限のおもてなしをした。
ところが。
――1ヶ月。
「あのー。オルテスさん、旅の途中ということですが、ここにずっといていいのですか?」
そのときはまだ、素朴な疑問として訊いた。
「いや、行く先も決まってない旅だから。予定もない」
「そうなんですか」
――2ヶ月。
「……オルテスさん、ずいぶんと我が家に滞在してますよね……」
家にいることが定着し始め、存在が気になってくる。
「ああ、ずっと旅のし通しだったから、体を休ませてもらっているよ」
「……旅をし続けていると、疲れがたまるんですね……」
――3ヶ月。
「オルテス、そろそろ旅に出たらどうでしょう? ほら、世界にはいろいろ知らない場所もあるでしょう? 未知の経験があるでしょう?」
パトリーはさりげなく促した。
「いや、こんな立派な館に滞在できることも貴重な経験だ」
「……立派な館とは、どうも……」
――4ヶ月。
「……オルテス、たとえば、誰かの家に行って『好きなようにくつろいでください』って言われても、本当に自分の部屋にいるかのように行動するのはいけないでしょう? それと同じで、いくら『好きなだけ』といわれたことでも、言われた方は節度を持つべきだよね」
遠まわしに、でてけ、とどきどきしながら言ってみた。
「ああそうだな。おれはこうやって他人の家に滞在しているけれど、その点身勝手に行動せずこの家のルールは守って礼儀は守っているつもりだ」
「……確かに、礼儀は正しいけど……言いたいのは……」
――5ヶ月。
「あの、オルテス、言いにくいんだけど……そろそろ出てって欲しいな、なんて……」
埒があかないと思い、控えめに直接的な表現を使ってみた。
「え? 何? ごめん、聞こえなかった。大きな声ではっきりと言ってくれないかな」
「……だから、その、出てって、と……」
――6ヶ月。
「だからでてけって! 6か月分の宿代は請求しないから!」
ここまでくると、はっきりと直接的に、である。
「好きなだけといったのはパトリーだろう。今更自分の恩人に対しての謝礼を訂正するのか? ふうん、ずいぶん、恩知らずなんだな、クラレンス家のパトリー嬢は」
「う、うう……」
とまあ、現在に至るのだが、ここまでの過程でオルテスについてわかったこと。
それは、『ずうずうしすぎる』ということだった。今思い返せば、それぞれの対応に対し、上手く出て行かないように答えているのだ。
かといってこのままでは一生この館に住み着いてしまう。オルテスに貸した部屋は完全に彼の好きなように仕上がり、鳥まで飼っているという。
「兄様からはいやみを言われ、姉様からはしかられ、父様からは滞在費はあたしもちだと通告され……。オルテスの滞在でお金がパーっと吹っ飛ぶのよ! ……やむを得ないわ。これ以後、まだ留まるようだったら毎晩カエルを投げ込んでやるからね!」
パトリーの目は据わっている。
「おいおい、どうぞと言ったのはパトリーだろう」
「もうそんなの時効よ! いい? 毎晩10匹以上投げ込むからね! もちろん生きているのをよ! 毎晩毎晩ぬるっとした恐怖に襲われるといいわ!」
確かに恐怖体験である。端から見ると喜劇だろうが。
鬼気迫るパトリーの顔は本当に、冬眠中もしくは起きたばっかりのカエルを見つけ出し、放り込みそうなものであった。オルテスは、ふう、と息を吐いた。
「わかった、わかったよ。降参だ」
「え、降参?」
「この館を出て行くよ。もうそろそろ限界だとは思っていた」
「ほんとう? ほんとにほんと? やった、やったーっ!」
パトリーは飛び上がって喜んだ。
「……そろそろ、時間だしな」
小さく呟いたオルテスの言葉は、パトリーには聞こえなかった。彼女の頭にあるのは、六ヶ月戦ってきた無敵ともいえる壁をようやく乗り越えたという勝利の宴会。
貴族の館ということで馬鹿にならない滞在費。こいつのせいで、彼女の貿易事業への投資は少なくなっていた。それが今!
「じゃあ、出て行く用意をする」
そう言ったオルテスの言葉も聞いていない。彼女はオルテスの部屋から出されて、廊下でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「あの……パトリー様」
声をかけたのは使用人の中の一人だった。パトリーは喜びのあまり気づいてなかった。使用人が腕を何度も叩き、パトリーはようやく気づいた。
「あの、パトリー様。お兄様であられるシュテファン様がお呼びです」
「シュテファン兄様が?」
シュテファンはクラレンス家六人兄妹の長男である。中央大陸に父が行っている今、クラレンス家の当主代理として頂点に立っている。先ほどサロンでその妻に会ったように、妻子持ちだ。パトリーとは年が10以上離れている。
彼女がシュテファンの部屋に入ると、彼は正面の机に座り、前で手を組んでいた。
「何か御用ですか、シュテファン兄様」
「ああ」
シュテファンが優しい兄であるとは誰も言えない。パトリーはこの兄のことを『冷徹』と評する。
彼は一頻りパトリーの姿を眺めた。
「服は代えるとして、その短い髪だな。しばらくはカツラでも使ってごまかすか」
「何ですか、シュテファン兄様」
見定められるのは、あまりいい気持ちはしない。
「ああ、別に大したことではない、安心しろ」
「それは……いいですけど」
「お前の結婚話だ」
パトリーは次の瞬間、意識が飛んだ。
……何? 今、何を言った?
……え、けっ……けっこん……? けっこん?
パトリーはそれを理解するのに時間がかかった。
「けっ、こ、ん?」
上手く唇に言葉がのらない。
「そうだ。大したことない話だ」
どこがだ! とパトリーはすかさず心の中で叫んだ。
「相手のことだが、安心していい。別に子連れの50代男でも、お前を殺そうと虎視眈々と狙う男でもない」
安心って……そんな安心、誰が結婚相手にそんな人を想定する人間がいるだろうか。
「相手はこの国の皇子、ランドリュー皇子だ」
「皇子……って、今、結婚相手が噂になっている!?」
いくらご婦人方の会話に積極的に加わらないからといって、もともと事件がないのだから、いやでも耳に入る。
「大分噂になっているらしいな。ランドリュー皇子は御年18歳。お前は16。ちょうどいいだろう」
「な、何であたしが……お妃選びには、美しさと気品と礼儀作法……が選定条件、でしたよね……」
自分のことながら、顔も気品も礼儀作法も飛びぬけているとは思えない。
「ああ、金を払ったからな」
ご婦人の皆様。現実はどこにも夢も希望もありませんよ。
「金支払ってまで、結婚なんて、しなくていいのに!」
「これはビジネスだ。わが家は国で有数と騒がれているが、家の格がつりあってない。ここで皇子と結婚することでちょうどいいぐらいに上がる。考えると、我が家にはちょうどいい年の妹が一人いる。……こういうことだ」
「そ、そんな……ことわって、断ってください!」
シュテファンは眉を寄せた。
「こちらから結婚を頼んでおいて? 金まで支払って? 皇子側も乗り気だそうで、2ヵ月後皇子の中央大陸での学問を修められたと同時に結婚式だ。これほど結婚まで時間がないのも珍しい」
「お小遣いカットでもいいから! 断ってください!」
パトリーの必死の嘆願に、シュテファンは鼻を鳴らす。
「そんなはした金。なぜそこまで嫌がる。もしかしたら、未来の皇后になるかもしれんと言うのに。そうでなくとも、皇子と結婚すれば、貴族の娘の羨望を一身に集める、女として最高の地位まで上り詰めるのだぞ」
「そんなの虫唾が走ります! お願いです、シュテファン兄様! 何でも言うことを聞きますから、断ってください!」
「何でも……か?」
「はい!」
「ならば、そのランドリュー皇子の父である、皇帝陛下の妾になるか? たしか数人いたはずだ。皇子相手の正妃より若干劣るが、かまわんぞ。60を過ぎた五人の子を持ち、7人の妻がいる皇帝陛下でもな。第8夫人となりたいのなら」
シュテファンは、こちらの方がいいと思うか、といった様子で、冷たい目で見上げる。
「それは……できません」
しょぼくれた様子のパトリー。
「なら、ランドリュー皇子の結婚に承諾してくれるな?」
「それも、できません」
シュテファンはかっとなる。
「いいかげんにしろ! あれもダメ、これもだめ! そんなに都合のよくことが運ぶか! これでもお前のことを考え、年齢、財産、格式、将来性、それらを考慮に入れ最高の人間を選んだんだぞ! おまえの姉さんたちと同様にな」
そして、妻のある男を別れさせたり、愛情の一欠片もない結婚をさせてきたのだ、シュテファンは。パトリーは、首を振る。
「あたしは、皇子と結婚するのが嫌なんじゃなくて、結婚自体が嫌なんです」
シュテファンは眉を上げる。
「なん、だと?」
「結婚なんてしたくない。あたしは一生、独身でいたいの」
「どういう意味か、わかっているのか?」
「はい。だからお願いです、シュテファン兄様……」
シュテファンは、しばらく考えにふけった。パトリーにとって、それは数時間にも思われるほど長く感じられた。しかし、実際は数分しか経っていない。
「……わかった。結婚はなしにしよう」
「シュテファン兄様!」
パトリーは歓喜の声を上げる。
「ただし! だ。条件がひとつある。中央の大陸に、セラという街がある。比較的大きく有名な街だ。ギリンシア神教アラン派の総本山でもある。そこに、今から1ヶ月25日後、つまり5月19日までにハッサンというその街で唯一の図書館の主人に、この箱を届けてくれば、だ」
そう言って、シュテファンは机の引き出しから、小さな箱を取り出した。受け取った箱の重さは重くもなく軽くもなく、大きさは小さな宝石箱くらい。箱の右隅に、クラレンス家の家紋が彫られている。
「これは……何です?」
「知る必要はない。だが、とても、重要なものだ。お前だけが行っても意味がない。絶対に、それをなくすな。お前の結婚の価値がある。もし間に合わなければ、結婚をさせる。式は延期となるが、必ずだ。どうだ? できるか?」
「はい! 必ず、やりとげます!」
即答だった。うれしさのあまり頬は走ってきたかのように紅潮し、そして箱を持って、シュテファンの部屋を出た。
かくして、彼女はセラという街への旅の決意をした。
人生の墓場から、逃れる為に。
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(2005.3.25)
(2006.11.4.改訂)