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   パチン



 パチン。
 その音ですべては始まった。
 私の全て、生きる意味、想い、激しい悲しみ、――愛。
 赤銅の5つの月、蒼い砂漠、そして黄金に澄んだ海よ。その海で、私達は出会ったね。あなたは浅瀬で立っていて、エメラルドの豊かな髪が背に流れていて。私はその色にあまりに驚き、あなたは私に気づいた。そしてあなたはすぐに剣を突きつけた。「あのときは殺されるかと思った」とは、後々私が笑い話をするときによく使った言葉。そんな出会いだったけれど、あなたは女好きで軽薄だけれど、最初は大嫌いだったけれど、ねえ、あたし、あなたのこと大好きよ?
「マーティンのこと好きよ」
 言葉に出すと、あなたは泣きそうな顔。
 ああ、泣かないで、泣かないで。私は泣かないから。泣かないから。
 あなたはいつまでも、その緑の長い髪を風になびかせて、海からの風と共にいてよ。
 泣かないで、泣かないで。
 ようやく、不安のない世界になったのだ。常に恐怖におびえることのない世界となったのだ。長く苦しくとも耐えて、待ち望んだ平和の世界。
 あなたはそれを、とてもとても望んでいたこと、知っている。歯を食いしばって進んできたこと。死の悲しみを背負い、けれど軽薄な仮面でごまかして。知っている。だって、いつも隣にいたものね。けんかした日も、雨の日も、青い砂漠の夜も。
 ああ、だから、泣かないで。
 あなたは笑って。この日を待っていたはずでしょう?
「いくな」
 あなたはせつない声で叫ぶ。
「いくな、いくな!」
 いつになく真面目な顔をして、あなたは必死に叫ぶ。
 ――いいえ、別れのときが来たの。
 笑顔で別れたい……そう思っても、なぜか顔はゆがむ。
「へ、変だね……笑いたいのに……」
 ふいに、泣きそうになった。その衝動が滝のように押し寄せる。
「カホ」
 あなたは私の名を呼んで、抱きしめようとした。でも、だめだった。もう、だめなのだから。
 私の体は、消えかけていた。
 透明に、なってゆく。
 私がこの世界に来たときと同じように。
 私はずっと考えていた。私がこの世界へ来た理由を。この旅の終わり、平和へのか細い道が見えたとき、私は悟った。――それが実現したときこそ、私がこの国を去るときだ、と。
 それは現実となった。いま、私の体は消えかける。
 戻る、戻るのだ。普通の高校生に、日本に住む、何の力もない女の子に。あなたを知らなかった頃の自分には戻れないけれど、あなたのいない世界に戻る。
 最初と同じなら、このままどんどん消えてゆき、最後は、パチン、という音で完全に世界を移動する。
「いくな、カホ」
 抱きしめられなかった手を強く握りながら、あなたは言う。私は首を振った。
 もう、だめだ。とめられない。
「元気でいてね、マーティン」
 ゆがんだ笑顔は、直せそうになかった。
 瞬間。

 パチン

 ――全てが終わる――
 何かが強い力で私の体をひっぱってゆく。ジェットコースターよりも早く、あらがうことすらできない。
 それでも――
 あなたは手を伸ばした。
 私は――私は、とうの昔にこのときをわかっていたはずなのに。それはどうしようもない運命だと、あきらめていたはずなのに。だからこそ何度もあなたと別れようとしたのに。ああ、でも結局別れられなかった、離れられなかった。
 そんなことはむだだ――
 内にある誰かの声を無視して、私は手を伸ばしていた。
 あなたへ、手を伸ばしていた。
 泣かずにいようと思っていたのに涙はとめどなく流れ、手を伸ばしていた。
「――!」
 遠い向こうであなたの声が、薄い膜がかかったように聞こえる。それでもわかる。あなたは私の名を呼んでいる。
 どんどん遠くなる。
 でも手を伸ばした。指先まで全力をもって、手を伸ばした。
 離れられるわけがない。忘れられるわけがない。
 お願いです、お願いです。
 何に頼んでいるのかもわからずに強く願い、手を伸ばして。
 信仰? ああ、それに似ていたかもしれない。盲目的に、ただすがりたかった。慈悲を求めていた。助けてくれる存在があれば、私は無条件に神と呼んだでしょう。でも後になって思ったのです。
 ――それこそ、愛というものだったと。
 
 光が現れた。朝焼けのように鋭く、月の光のように淡い。
 伸ばした手の先に、何かが触れた。少しでも、わかる。
 あなたの、手――





あとがき
4つ目に書いたお題は「パチン」でした。
ファンタジーでしたが、長編でも書けそうな感じですね。



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