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 仕事柄、モテることは自覚している。
 見るものの目をひきつけなければ、モデルなんてやってられない。
 今日ついていたのはずいぶんとしつこい女性だ。コートに入れた手を組もうとするのを振り払い、おれは言った。
 ハッキリ言うのが、アメリカでのルールだ――
「おれはゲイなんだが」
 性的魅力をおれに見せ付けていた彼女は、カバンを落とした。


 動けないでいるのは


「ただいま、ジャック」
 本日の夕飯の材料を紙袋に抱えて、おれは相棒に帰宅の挨拶。
 ところがこの相棒、「お帰り」とにこやかに言ったためしがない。
 ソファでゆったりと足を組み、ジャックは雑誌を見ていた。
「仕事は順調のようだな」
 彼が見ていたのは自分の写ったグラビアページ。
「恥ずかしいから、やめろよ」
 自分が写った写真というのはいつ見ても、『自分』という気がしない。
「いいじゃないか。よくうつっている」
 ジャックはおれの半裸の姿を意地悪そうに眺めている。
 おれは雑誌をむしりとって、キッチンの冷蔵庫に夕飯の材料を入れ始めた。
 規則的な電子音――電話が鳴ったのはそのとき。
 リンゴを入れる前に電話の子機を取った。
「はい、もしもし……」
 相手は、母からだった。
 カリフォルニアの田舎から、いきなりニューヨークに出た息子への定期的な心配の電話。
 電話も定期的なら答えも定期的。
「ああ、うん、わかっているよ、ああ、ちゃんとやっている……」
 その流れが止まったのは、一つの質問から。

 彼女なんかもちゃんと作っているのかい――

 反射的におれはジャックを見た。
 震えるのどを叱りつけ声を出そうとするも、のどから先へは出やしない。

 あんたのことだから忙しくてそれどころじゃないとか言うだろうけれど……

 電話の母の声は遠くに聞こえる。
 ジャックと住み始めてからもう一年になる。出会いはゲイバー。すぐに気が合った。
 まだ、家族にカミングアウトしていない。
 さあ、言え!
 心の中で誰かが、ボクシングのコーチのようにおれを奮い立たせる。
 母さんごめんよ、おれはゲイなんだ――それだけだ。ほら、言え!
 しかしそんな声は出ずに、その話はまた今度、と言って電話を切った。
「どうした」
 テーブルに置いていたリンゴにかじりついていたジャックは、おれが隣に座ると話を促した。
「何かあったのか?」
「母からの電話だった。
 また、おれはカミングアウトできなかった」
 他人ならばこれほど怖くなかった。
 憂いのある顔のおれの肩を抱き、ジャックは慰める。
「分かるさ。親へのカミングアウトほど勇気がいることはない」
「ジャックはどうして親へカミングアウトできたんだ? 怖くなかったのか? 親の態度が変わるかもしれなかったのに……」
 ジャックと親の関係はそれほど悪くない。
 でも、本当に怖くなかったのか?
「怖かったさ。このままずっと、黙っていようかと思ったときもあった。
 神のお告げがあったわけでもない。
 でも、思い出した。おれ自身がゲイだと認めたときの勇気。
 おれは一度、それだけの勇気を持てたんだ。一度できたなら、二度目もできる。
 言えるうちに言っちまえ、おれは悪いわけではない。うじうじするなってな。
 もう一度、その勇気を思い出せ、ってな。
 後は、戦いに赴く気分さ」
 もう一度、その勇気を思い出せ――
 ジャックはおれの胸をこぶしで軽く叩いた。
「ほら、おれの勇気を少し分けてやる。
 お前の勇気を思い出せ。動けないでいるのは、燃料切れだからだぜ。
 凍ったガソリンを溶かして満タンにするんだ」
 おれは立ち上がった。
 まだ若かったあの日。自覚したくなくて、無理にガールフレンドを作って目を背けていた。それらと決別し、立ち上がったあの日。
 あの日も、心の中でコーチが騒いでいた。
 目を背けるな! 逃げ出すな! 敵は目の前にいる、敵は逃げ回っているお前だ!
 何も変わらない。
 対するのは親のように見えて、本当は逃げ回っているおれ自身――
 ざわざわと、炎がくすぶっている。思いっきり燃やすんだ。
 さあ、第2ラウンドの始まりだ。ケリをつけろ。
 実家の電話番号を震える手で押し、今度こそのどの奥から声を出した。




あとがき
 ゲイが一番大変なのは、自分と、親にカミングアウトするときだ、という話を聞いて、書いた短編です。
 短編は現代が舞台のものになりそう。悲劇でない結末の短編小説を書こうと思い、できたものです。イメージはアメリカのドラマ。(2005.9.24)


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