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  こめかみの銃弾


 窓の外で、木枯らしが吹き荒ぶ。教室の中にまで冷風が入り込むような轟音だ。
「戸村君、君、恋愛小説は向いていないよ」
 遠田の第一声に、俺は机に突っ伏した。
「……恋愛小説を読んで感想がそれって……もうちょっと他の感想ないのか」
 起き上がって、下に敷いてしまった紙束を整える。目の前の遠田は、だってねえ、と言いたげに首を傾け、結んでいた髪が揺れる。
「いやだって、そう思ったんだもん。何て言うの? リアリティがないっていうか。そう、リアリティがない」
 自分の言った言葉に、遠田は頷いている。
「戸村君、もしかして恋愛したことないんじゃない?」
 俺は目を瞬かせる。
「いいや、普通にあるけど」
「え、嘘」
 遠田が体を引いている。失礼な奴だ。
「ふうん……じゃあさ、そういう経験を生かして書けないの?」
俺は思わず吹き出した。
「あのなあ、ネタにできたら書いてるって。自分で言うのもアレだが、俺の経験談は小説にするにはつまらない。俺は自分とはまったく関係のない話が書きたいよ。大体、経験しなきゃ書けない、とか聞くけど、そんなこと言い出したら、男は女なんて書けないし、自分より年上だって書けないし、既婚者だって、特殊職業の人だって、超能力者だって、宇宙人だって書けないじゃないか」
 超能力者や宇宙人は書いたことがないけれど。
 しぶしぶという様子で、遠田は引き下がる。
「じゃあ、経験の話はいいけどさ。そういうの置いておいても、この小説面白くないよ。だってさあ、本当に主人公がヒロインのことが好きだって、思えないんだもの。主人公の男の人がこけしが大好きだってことは伝わるよ? でもこけしによく似ている彼女を、こけしより好きだ、って結論には納得できないよ? さんざんこけしが好きと言っておいて、説得力がない。主人公の行動にしても、心情にしても、いろいろとおかしいところ多いよ」
 その微妙さが肝だと思ったのだが、確かにそう読めるのかもしれない。もう少し改善するべきポイントだろう。
「ご批評、ありがとうございます。それを生かして、今後の執筆にあたらせていただきます」
 俺が芝居がかって深々と頭を下げると、遠田はふんぞり返った。
「よろしい」
 遠田は後ろを振り返って、前にある机から、紙束を取り出した。
「それじゃあ、今度は私の小説の批評、頼むね」
 渡された紙の重さにため息をつきたくなるが、気合を入れて読み始めた。
 遠田とは、同じクラブに入ったクラスメイト。文芸部だ。
 今までは部室で、書いた小説の読みあいっこをしていたのだが、我々は今、高校三年生だ。とっくに引退している。
 では、なぜ我々が小説を書いて、感想を言い合っている暇があるかというと、二人とも推薦入試で大学が決まったからである。
 入試に向けてがんばっている同じクラブの奴らのことを考えると、のんきに部室に出るのはどうか、とためらわれる。そこで、こうして放課後、誰もいない教室で、遠田と小説の見せ合いっこをしているわけだ。
 三年も同じクラブにいて、かつ、そこそこ忌憚なく話すクラスメイトでもあると、双方批評への遠慮というものもなくなってくるものだ。
「うーん、遠田の小説ってさ、読むとイメージで、お目々に星がある、キラキラの少女マンガみたいな感じがするんだよなぁ。毎回恋愛小説だし」
 遠田の小説には、完璧に彼女の願望が表れている。ヒーローは女受けする「こんな奴いねー」とつっこみたくなるカッコイイ奴。そして必ずハッピーエンド。遠田の小説はどんなシチュエーションでも既視感がつきまとう。
「悪い?」
「遠田も俺に言ったけどさ、リアリティはないと思う。主人公も気になるんだよな、まーいかい、何の取り柄もない女の子、ってさぁ。たまには男受けする美少女とかにしてみたら?」
 そんな取り柄のない主人公がモテる理由が、毎回分からない。
「女性心理がわかってないわね〜。男受けする女の子、っていうのは、女から嫌われるものよ」
 ちっちっち、と指を振る遠田に、俺は思わず深いため息をついてしまった。紙の束を、机の上に置く。後頭部をかきむしる。
「今さらだけどさ、俺たち、読者としては向いていないと思うんだ。俺、分かってると思うけど、少女小説って好きってわけじゃないし」
「でも恋愛小説は書くじゃない」
 俺は素直に頷いた。
「まあな、書くには書くけど、少女向けは性に合わない。それに恋愛小説専門でもない」
 遠田が、気づいたように言う。
「そういえば、前に読んだ復讐小説は良かったわよ」
「ん? 『こめかみの銃弾』?」
「そうそれ。あれは戸村君の小説の中で、一番だと思うわ。主人公の復讐に燃える心情とか、鬼気迫るものがあったし。手に汗握る、というのかしら。一度読んだら、忘れられない」
「これはこれは、お褒めの言葉、ありがとう。メルシー」
 大仰に手を優雅に上から下ろし、頭を下げる。
「恋愛小説の心情は、ぺらっぺらな感じなのにねえ。もう一度、あんな感じの復讐小説書いてみたら? 復讐の手段とか、相手にばれるかどうかのスリリングさとか、ハードボイルドな感じでさ。そして最後は、復讐の空しさを悟るのよね」
「何で最後、空しさを悟らなくちゃいけないんだ」
「えー、だって、そういうものじゃない? 現代が舞台なんだからさあ。人殺せば、罪悪感とか抱くものじゃないの? よくわかんないけど」
 遠田は顎に指を当てて考えている。
「……思ったけど戸村君って、心情描写においてうまいとへたのばらつきがあるわよね。憎しみとか怒りとか、そういう負の感情は迫り来るものがあるけど、好意とか優しい感じのものは苦手でしょう」
 その指摘は、俺にとって予想外のものだった。自分では気づいていなかったし、言われたこともなかった。
 机の上のシャーペンを手にとり、背をとんとんと叩きながら思い起こす。
「そうかもしんない」
「でしょう? だからさあ、いっそそういう方面に特化するってのもありじゃない?」
 そういう方面、とはサスペンスやバイオレンスな小説ということだろうか。
 俺は乗り気ではなかった。机にひじを立てて、顔を傾けた。
「書く気になれないなあ。『こめかみの銃弾』だって、書いていて、憂鬱になったんだ」
「あー、そうなりそうな感じはしたわ」
 遠田は同意して、それ以上、俺に要求することはなかった。そもそも素人の小説なのだ。好きなものを好きなだけ書けばいい。
 少し個別の問題を話して、俺たちは帰ることになった。
 遠田の家と俺の家とは、学校の門から左右に反対方向である。
 正門前で、遠田は言った。
「ああ、あの『こめかみの銃弾』ね、確かにすごい小説だと思うけれど、個人的に、私は嫌いだな」
 まったく率直に言う奴だ、と腹立たしさもあったが、
「同意見だな」
 と、彼女が去っていった後、俺は呟いた。
別れて、一人で二階建ての小さなアパートに帰った。
 一階の暗い扉の前で、鍵を取り出し、鍵穴に回す。ノブを回して、家へ入った。
 ただいま、や、お帰り、という言葉は忘れてしまった。
 部屋は暗い。電気をつけて、部屋に鞄を置いた。
 小さな冷蔵庫の中から作っておいた麦茶を取り出し、コップにそそぐ。一息に飲む。
 まだ五時である。だんだんと日没の時間は早まっているが、まだ外に出られる時間だ。
 俺は服を着替えて上着を着て、メモ帳とペンを手に、アパートを出た。
 アパートの近くには、川が流れている。お世辞にもきれいとは言えない。というか、汚い。
 川べりには、桜並木が立ち並ぶ。春には多くの人が訪れ、花見などを行う。
 しかし、それ以外の季節は、現地人にとってはいい場所ではない。木が茂っていることもあって暗く、近寄りがたい。
 人気はなくて、何かを考えるのにはいい場所だと思っている。
 『こめかみの銃弾』の構想を練ったのも、ここでだった。
 あれほど、考えているだけで楽しかったことはない。
 『こめかみの銃弾』の主人公は中学校に上がったばかりの少年。
 主人公の家族構成としては、両親、上に兄が一人、姉が一人、妹が一人。ただし、姉はすでに結婚して、旦那と別のところに暮らしている。
 普通の家族、平凡な日々。
 それを、とある日、無残に壊されたのだ。
 強盗がやってくる。
 男は銃弾を五発撃つ。一発は父の額を、一発は母の胸を、一発は兄の腹を、一発は妹の太ももを、一発は、主人公のこめかみを。
 父母と兄は即死。妹は出血多量で病院に搬送後、死ぬ。
 偶然主人公だけが助かり、犯人への復讐に燃えるわけだ。
 犯人は警察につかまる。
 普通なら、これだけ人を殺せば、今までの判例などから、死刑となる。
 しかしそれでは主人公の復讐が達成できないので、『精神鑑定で〜〜ということであり、家庭環境が〜〜で』、と悪辣な敏腕弁護士が言い出すことにした。
 それによって、犯人は死刑を免れる。
 主人公はその判決に、ますます復讐の炎を燃やす。
 そして策略を練り、何年も時間をかけ、とうとう犯人への復讐を達成するのだ。
 どうやって復讐を行うか、それを考えるのも楽しかった。
 殴り殺すか、中世の拷問道具でも使うか。
 しかし結局、銃を使わせることにした。銃というのは間接的殺害道具であり、復讐の生々しさから考えるとどうかとも思われた。
 しかし、とあるアイディアがひらめく。
 主人公はラストシーン、五発の銃弾を、断崖に立つ犯人に撃つ。
 一発は額、一発は胸、一発は腹、一発は足、そして最後に、こめかみに。
 倒れて死んだ犯人に、主人公は高笑いをし続け、物語は終わる。
 話を考えているだけで、うっとりとした。楽しかった。
 そして、字にして小説にしようと思った。
 けれども、原稿用紙に向かうとそれは一転、苦痛なものに思われた。書けば書くだけ、何かが重くのしかかってくる。
 構想を練っているときの浮遊感はどこかに行った。
 胸が苦しくなる。一人きりの部屋で書いていたせいか、唐突に叫びだしたくなる。狂ってしまいそうになる。
 夢を見る。小説のラストシーンの夢を見る。するとなぜか、自分は主人公ではなく、犯人となって、銃弾を浴びせられる。本当のような痛みがある。
 眠れなくなる。学校だって、どこでだって、誰の言葉も耳に入らなくなる。
 何度も断念しようと思ったそれも、何とか一篇の小説として書き終わった。
 読んだ人間には、最も誉められた小説となった。
 けれどそれに何の意味があるというのだろう。誉められ、それを受け入れてしまえば、根本的な何かを見失ってしまう気がした。
 『私は嫌いだな』
 遠田が言った言葉は、俺の中心を突き抜けて照らしていった。それを聞いたとき、気づいたのだ。
 俺自身も、この小説に嫌悪感があると。根底にあった思いに気づいたのだ。
 賞賛されるために書いたのではない。こんな小説は唾棄すべきものであると、思い知りたかったのだ。妄想と悪夢の産物にすぎず、沈殿していた苦しみを揺り動かし思い出すだけ。
 高揚感のうちに構想していたときでさえも、呻きながら原稿のマス目を埋めていったときも、ぎりぎりと自分できつく身を縛るような不毛さと息苦しさが、共にあった。まさに生みの苦しみだ。しかし、搾り出し吐き出しても、中に残る毒性は一片も消えやしないのに。
 そこに残った小説という名のものに、自らの醜さだけが赤裸々に露呈した。吐き気がするほどの気持ち悪さに、目をそむけることすらできない。それが罪のにおい、罪の色、罪の子だ。
 気づけば、もうあんな復讐小説を書く気にはなれない。
 秋風が吹く。
 コートの中で震えながら、新たな恋愛小説の題材を考えようと、思考が奥深くに入る。
 風は強かった。少し長めの髪が引っ張られるくらい。
 その瞬間。
 左耳の上、こめかみの近く。髪の下の傷が、外気にさらされた。
 少し、痛んだ。






あとがき。

これは2006年10月の部誌に出したものです。タイトルは改題。(改題前は、「復讐の小説」)
それ以外は、変わっておりません。



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