翼なき竜
1.野望と犬 (1/6)
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「世界征服がしたい」
女王はぽつりとつぶやいた。
大量の書類を運んでいた宰相は、彼女の机にそれをどしんと乗せた。
女王はその量に顔をしかめる。
「陛下、現実逃避せず、書類に向き合ってくださいね。本日中にお願いします」
女王は長い指をこめかみに当て、宰相を見上げる。栗皮色の髪が意志の強い瞳の上に落ちる。
頬にはあざがあった。片翼の竜のあざが、女王の右の頬に。まるで刺青のようであるが、これは生まれたときからだそうだ。
竜のあざは『泰平を築く覇者』の印と言われる。王家に百年ぶりにその印を持って生まれたのが、この女王だ。翼が片方しかないが、それでも敬意をもって国民に見つめられる。
しかし敬意どころかうっとりと見つめるようなのは、宰相くらいだ。
「このような書類仕事ばかり、いい加減うんざりする」
女王のため息に我に返って、宰相はきりっとして言った。
「ここにあるのが終われば、一息つけます」
「終わればと言ったって、この量。明日は竜狩りに出たいが、無理そうじゃないか」
女王は飽きたと示すように、羽ペンを回し始め、ゆったりとしたハーレムパンツを穿いた足を組んだ。
「陛下のお力なら、このまま夜まで続ければ、終わりますよ」
宰相がいたわるように言う。
彼だって、女王にしたくもないことをさせ続けることは忍びないと思っている。
現在、王国は平和である。まさに女王は『泰平を築く覇者』をしている。女王自ら動くような軍事的案件もなく、式典の重なる季節でもない。
となれば、彼女の仕事に書類に追われることが増える。書類のほとんどは、サインをするだけのもの。女王まで上がってくる書類が不可となることは少ない。
このまま今日中にサインし終えれば、明日は思う存分、狩りにでも出させられる。
そう思って言ったのだが、女王は目を細めて、眉を寄せてきた。
「……夜までしろだと?」
「はい。本日は夜には予定は何もなかったはずでしょう?」
「……他の臣下から、そう聞いたのか?」
宰相は不思議に思った。
そうではないのか?
今日の夜は女王のスケジュールは何もないと、聞かされている。
まだ年が若いため、宰相は侮られることが多い。本当は別のスケジュールが組まれているのだろうか。
宰相は女王に訊こうとしたら、
「いや、何でもない。宰相、すまないのだが今晩……」
女王は上目遣いで見てくる。ためらうように一度伏せられ、そして見上げられる。けぶるような睫毛の下にある黒鉛の瞳が宰相へ向けられる。
妙に、女を感じる。
宰相は心臓が高鳴るのを感じた。
『今晩』?
そ、それは、もしかして、さささ、誘ってる、とか?
密かに慕い続けていた恋心に、春が訪れたとか?
宰相は顔を赤くして、狼狽のあまり上着を直したり、髪を整えたり、せわしなく動いた。
「は、ははははい、陛下」
声もどもる。
「今晩な」
「ははははい!」
「その……迷惑かもしれないが」
「そのようなこと全然まったく絶対にございません!」
「本当か?」
「ははははい!」
それならな、と女王は机から身を乗り出す。
「西のフォートリエ騎士団のブッフェン団長に、会いに行ってもらいたいんだ」
「ははは……は、は?」
宰相は人形のように、かくっと首を傾けた。
「騎士団に入っていたのときに私が親交を深めた相手だ」
「は、はい。それは存じておりますが……」
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